DNA

火曜日, 3月 23rd, 2010 @ 15:36:03 | blog

あまりにも放置しすぎ・・・

そうはいっても仕方が無いのだ。

今月は、本当に何かと忙しかったし、何と言っても、このブログを記しているiMacが娘に占領されているのでどうにもならない。

今日は久々に僕の元へ戻ってきたので、急ぎ打っているというわけだ。

娘は今月末、初めてのセルフプロデュースライブを打つ。

それでなんやらDVDやら音源やらを黙々と造り込んでいるのだ。

本職である僕と妻は、思わず口を出したくなるのをできるだけ押さえて、彼女のやりたい事をやりたいだけやれるようにサポートしたいと考えている。

会場は、ライブハウス・テインパンアレイ。ライブありファッションショーあり、勿論、ダンスパフォーマンスありのモリモリの内容だ。(僕も、ちょこっと演奏するし、妻も出る)

しかし、毎日、朝からパソコンに向かい、深夜までスタジオで練習する娘を見ていると、つくづくDNAを感じる。

そうやってDNAが繋がって行くのを見るのは嬉しい。(親バカ丸出しやね)

takeshi.jpgDNAといえば、今月僕は、長年の念願だった、あるDVDの製作をようやく開始できた。

いわゆる仕事ではないが、僕にとっては会社の仕事とまったく同列に大事な大仕事だと思っている。(あくまでも、私的な目的なのだけどね・・・)

事の始まりは10年以上前。僕は県内のあるお寺さんの依頼でレコーディングを担当した。

中身は、声明(しょうみょう)と言われるある種の合唱と、それに即興でコラボするシンセサイザーとで奏でられる宗教音楽だ。

とても気持ちよくできあがり、打ち上げも盛り上がった。

その席で、共演したシンセサイザー奏者、紫帆さん(当時、京都在住)と話しているうち、話しは長崎原爆の事に・・・・(僕と妻の両親は被爆者)

で、僕はいつか、それぞれの両親の体験談をCDにしたい、なんつー話しをしたんですな。

紫帆さんえらく感激してくれて、製作する時には是非協力するよ、と言って下さった。

嬉しかったしありがたがった。勿論、いつかは本当にやりたい企画の一つだったが、その時期、具体的にどうのという事でもなかった。

ところが日をおかずして紫帆さんから、何と製作に対するカンパの現金が届いた。

matsumoto_shige_e.jpgびっくりしたが、これで実行することに踏ん切りがついたのも事実だ。

ところが・・・・・とにかく様々な障害があり、なんとも進行しない。

どんどん時間だけが過ぎて行く。やがて僕の中でも、声だけを入れたCDでは納得いかなくなり、計画をDVDに変更した。それでまたスタートが遅れる事になった。

やっぱり画を撮るなら撮るで中途半端は嫌だ。それなりの体制が整うまで始められない。

諸々の態勢がようやく整ったのが今年に入った2月だった。(10年以上歳月が過ぎていた)

※ ありがとうございます矢吹紫帆さんと有志の方々。やっと、計画を実行できる日が来ました。完成まで、今しばらくお待ちくださいませ。頂いたカンパは、デジタルムービーやマイク等の機材代の一部としてありがたく使わせて頂きました。

すぐさま僕はかねてよりの計画を実行に移した。

keiko_.jpgそれはこうだ。僕の娘をナビゲーターにして(当たり前だが、彼女も立派な被爆三世。)、僕と妻の両親にインタビューし、それに付随する様々なカットを挿入する、というものだ。

考えたくない事だが、いつか必ず、父も母も、そして僕らも、いずれこの世からいなくなる。

だから、僕は、僕のできる精一杯の事を、子孫に残したいのだ。

大げさに言うならば、それが長崎という地に生まれたものの使命だと思っている。

行政レベルでも、あわてて映像化に取り組んでいるが、個人的には、被爆家族それぞれがこのような記録というか、作品を残すべきだと思うのだ。

何故か? その答えがこのビデオに詰まっている。

他人に話すトーンと、身内、特に子供や孫に接するときは自ずと違うもんだ。

(当初は、その他の親類等のインタビューも収めようと考えていたが、様々な事情であきらめた。)

それに何といっても、これだけ映像関係機器やパソコン環境が整ってきた今だからこそ可能な事でもある。

(そういう意味でも10年前は無理だった。しかし、ここらあたりの進歩は目を見張るものがある。そのうち、小さなデジタルビデオとパソコン一台で、とんでもない作品を創るヤツが出てくるんだろうな〜・・・)

asako1.jpgで、今月の半ば、最も胆というべき、両親のインタビューを撮る事ができた。(結果、原爆当日の話しだけでなく、子供の頃の長崎、という部分にも及んだ)

内容は・・・・実に興味深く、掛替えの無いものだった。

そこには、僕の知らない父母が躍動していた。

特に、爆心地からわずか1.4kmで被爆した、妻の母と僕の父の話しは、60数年を経た今でさえ生々しい・・・

・・・・僕自身、こんなに長く両親と話した事は初めてだったかも知れない。

いずれにせよ、昔の事を語る親達の顔の輝きは素晴らしかったし、嬉しそうだった。

語る内容の大半は、かなり悲惨な話しなのだが、なぜか明るい。

きっと、どんなに悲惨な時代だったとしても、彼らにとって、その時代こそが青春だったからに違いない・・・

しかし、・・・・・現代よりも遥かに貧しく、遥かに不自由だったはずなのに、豊かに感じるのは何故だろう?

PHOTOは、このDVDに収めるべく若い頃の写真を、とお願いして貸してもらったもの。

親父の若い頃の写真は、どれも気取ったポーズばっかりで、娘とゲラゲラ笑った。

娘曰く、『おじいちゃん、太宰の『人間失格』のごたるね』・・・・たしかに。。。。。

(あ〜、このDNAが俺にも・・・・・)

それに引き換え、まるでジム・キャリーのようにハンサムで爽やかな笑顔の義父。

(60年代、『奥様は魔女』のダーリンに良く似てると言われたそうだ。)

その次は母。母はさすがに気取ったヤツは殆どなかったが、父に合わせて、唯一気取ったポーズのものにしてみた。

最後は義母。当時の人としてはとても顔が小さくてバランスが良い。

どれも22〜24歳頃のものらしい。

 

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