King of POP

土曜日, 6月 27th, 2009 @ 16:44:54 | blog

41jhcab6l_sl500_aa240_.jpgマイケルが死んだ?! 昨日の朝一に飛び込んで来たニュースだ。

信じられず、よくあるデマだろうと高をくくってた。

ところが、続報はすべて死亡。昼前には、確定情報が流れた。

天才的なシンガーソングライターであると同時に神がかったダンサーでもあり、常に芸能ゴシップをまき散らす典型的なスーパースターでもあったマイケル・・・・・

又一つ、人類の巨星が墜ちた。

僕にとって彼は、ちょっと特殊なポジションにいる人物だ。

彼の音楽は勿論好きではあったが、彼の曲自体を僕自身がプレイしたり唄ったりした事はない。(唄えるはずもないけど)

つまり、常にミュージシャンを、プレイする対象、あるいは、研究する対象と見る習慣のある(基本、プレイヤーやけんね!! )僕にとって、マイケルは純粋に聴くだけ見るだけに限定されたミュージシャンなのだ。

言うまでもなく、彼の音楽はダンスミュージックとして卓越していた訳で、僕が担当してきた様々なダンスイベントで、それこそ、これでもか、という程使ってきた。

思えば、マイケルがもしいなかったら、現在のようなダンス隆盛になっていたかどうか?・・・

彼のダンスは間違いなく、それまで全くダンスに興味がなかった人々をダンスの世界に引き込んだ。

(ダンスには殆ど興味のなかった僕でさえ、彼のダンスには釘付けになった。特にムーンウォーカーは素晴らしかったな〜)

僕は、相当な数の彼の曲を、 聴き、吟味し、切り刻んで(編集)きたのだ。

ある意味、単独アーティストとしては、最も数多く聞き込んだアーティストの一人と言える。

・・・・・・

彼を初めて知ったのは、ジャクソンファイブの頃。多分、僕は小六か中一。

当時、歌謡界で大ヒットしていたフィンガーファイブの元ネタとして、何かのTVで見た記憶が有る。それにしても、めちゃくちゃ歌巧いやっちゃなーと思った。あと、ベンのテーマとか・・・・

51-jnw-c3al_sl500_aa240_.jpg次に彼を認識したのは、1982年11月に発売された、『スリラー』

とにかく、どこにいってもこれがかかっていた。ちょうど、サウンドエンジニアリングに興味が深化しつつある時期だったので、その、圧倒的に(他のレコードとは比べ物にならない)クリアーなサウンドに驚いた記憶が有る。

ここは一つ僕らしく、彼の作品のサウンド面から振り返ってみたい。

僕の彼のサウンド面への関心ははっきりしている。それは、『オフ ザ ウォール』からだ。

そこから現在まで、ほぼ一貫したフィールに貫かれている。それは、クリアー&タイトだ。

どこまでも一個一個のサウンドはクリアーでノイズレスで、ドライで、引き締まっていて無駄がない。

それは、プロデューサーのクインシー・ジョーンズとエンジニアのブルース・スウェディーンの功績に違いないと思う。(デンジャラス以降は別のチームだが、方向性は同じ。)

51u08a-vl_sl500_aa240_.jpg※ エンジニア的マイケル話としては、ボーカルマイクとして、激しい曲では主にShure SM57、バラード等の柔らかな曲では、ビンテージのELA-M251を使ったらしい。57は良いとしても、251は、手が出らんな〜。(復刻版でさえ250万円程する)

思えば、1982〜3年というのは、ニューヨークのボブ・クリアマウンテンやロンドンのヒュー・パジャム等の若手エンジニアが一世風靡していた時期で、そのサウンドは、とにかく派手で、エフェクティブで、ラウドだった。

マイケルのそれは、それらとは対極にあった。リバーブやディレイも最小限度。とにかくエフェクトの使用は、常に控えめだし、ドラムにしても、当時大流行りだったルームアンビエンスやド派手なリミッターサウンド等一切使っていない。

僕自身は、圧倒的なクリアマウンテン派だったので、その端正すぎるサウンドが、地味ーにさえ感じたものだ。

しかし、それはとんでもなく浅はかな考えだった事がほどなく分かる。

当時でも既に大ベテランだったエンジニア、ブルース・スウェディーン(1934年生まれ)は、確固たる信念を持って、あのサウンドを構築していた。

彼のサウンドフィロソフィーとは、あくまでも、ひとつひとつサウンドを、自然に美しく録りきることであり、最高の曲が最高のアレンジを施され最高のパフォーマーによって演奏されれば、何も、エンジニアリングでケバく装飾する必要などないという事だったのだと思う。

流行の派手なサウンドは、それはすなわち、ほどなく飽きられる運命に有り、 常に百年先まで見通した普遍的な作品を創ろうという彼らにとって、決して選択することのない方法だったのだろう。

そして、マイケル自身もそれを望んだ。(ここがスンゲェーね。)

つまり、マイケルは、その作品の中では、常に、斬新でありながらも、同時に普遍的な 創作を標榜しており、芸能的スーパースターであると同時に、稀に見る卓越した芸術家でもあった事は疑いの余地はない。

きっと、その相容れない二つの世界が、彼の命を 縮めたに違いない。

偉大なるその才能と業績に感謝しつつ合掌。。。。

 

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    3 Responses to “King of POP”

    1. KAZUKI Says:

      ホントに残念です・・・。
      僕も最初聞いたときは「デマでしょ?」と思いました。
      学校から帰ったら完全に死んだって話になっていて驚きました・・・。
      まだ50歳だというのに残念です。
      合掌。

    2. admin Says:

      俺たちも50歳(今年)。。。。

      でも、凡人だから死なんやろうね。。。。。

    3. [ビクトリアシークレット取扱店] Says:

      [靴ルブタン]

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