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山下達郎 様

9月 16, 2011 in blog

言わずと知れた、日本を代表するPOP MASTERの一人。

僕らの世代にとっては、『師』とも呼べる大先達だ。

僕が、師を知ったのは、もう30年以上昔・・・・19才だった。

ソリッド・スライダー(SPASY)、ペイパー・ドール(Go Ahead)あたりにぶっ飛んだ。

当時、日本の楽曲では初めて聞くようなファンキーなリズム、間だらけで無駄の無いイカしたアレンジ、そして何と言っても、達郎さんの最高のボーカル&メロディ。すべてが完璧で、完全にノックアウトされたのをよく覚えている。

それまで、洋楽一辺倒(ユーミン等ほんの少数をのぞき)だった僕を、ぐーっと国内へ目を向けさせるきっかけにもなった。

どのアルバムも素晴らしいが、僕の中では、82年発売の『For You』で、一つの頂点を極められたような感を持っている。

ラジオから流れてきた『Sparkle』にやられた僕は、そのままレコードショップへ買いにゆき、当時のバンドでカバーしてライブでもやった。

改めて聞くと、ほんと当時のミュージシャンは巧い。(師は、ライブサウンドも最高なことで有名。)

※ あくまでも音質優先に選んだ画像なのであしからず。

この最高にイカしたイントロのギターカッティングは、師自身による演奏で、フェンダー・テレキャスター(ローズネック)をSSLの卓にDIを通してダイレクトにぶち込み、Urei1176(コンプ)だけをかけて、ステレオ・ダブル録音されたという。

しかし、こんなギターのノリ、中々出せるもんじゃございませぬ・・・恐るべし

同時に、当時、常にタッグを組んでいた日本を代表するエンジニア、吉田保巨匠の素晴らしいサウンドも合わせて楽しんでほしい。(名盤とは、常にすべてが揃っている。)

あと、これらオールジャパンチームに対して、シュガーベイブ時代の超名曲『Windy Lady』を、ソロデビューする際ニューヨークの一線級ミュージシャンとやっているので、これも貼っておく。

当然、赴きはかなり違う、ノリも、サウンドも・・・・

とは言っても、ここ十数年、師の作品はほとんど聞いてない。

510v0deanql_sl500_aa300_.jpgそんな師が、近頃新譜を出され、それに合わせて各紙にインタビューが掲載された。(Ray of Hope)

小生、その内容にいたく感銘を受けたので、内容をいくつか転載したいと思う。

『僕が何のために音楽を作り続けているかというと、純粋に作品をよりよくしたいということだけなんですね。

そして、なぜ音楽を売りたいかというと、アルバム制作費を増やしたいから。

ソロ始めた頃は全然売れなくて・・・・・生身のミュージシャン呼んでレコーディングしているわけだけど、トライ&エラーなんてものは許されなかった。・・・・

“もう一度録るなんて予算の問題で無理だ”ってスタッフに言われるのね。それで僕はレコードを売ろうと思ったんです。

・・金を儲けたいとかスターになりたいとか、そういうことじゃないのね。要はもうワンテイク、もう一曲録りたいだけ。

今の若いバンドもローバジェットな制作を強いられているよね。レコーディングまでに曲を書いてこいって言われて、いざ曲を持っていったら作曲家気取りのA&Rにサビが弱いとか指摘される。挙げ句、ドラマーがヘタだって言われて後で編集される・・・・でも、メジャー・デビューできるならバンドも従っちゃう。

僕も若い頃同じようなことがあって、“お前、曲はいいけど詞が良くないから、他の作詞家を使う”って言われて、冗談じゃないって啖呵を切ったの。
下積みに戻ったとしても、そんな作り方をされるんだったら辞めるって。そこは僕の主張が通ったんだけど、ケンカしなくちゃいけないときっていうのはあってね。

何で自分は音楽をやっているのかを考えたら、その相手言うことは聞けなかったんです。

だから、若いミュージシャンの人たちは“ここは妥協してくれ。売れたら好きなことができるようになるから”って言われても聞いちゃだめですよ。絶対そんなことないから。

初めからやりたいことを通さなかったら、有名になっても好きなことはできない。・・・・自分の音楽表現に対して絶対に妥協しちゃダメ。(Sound & Recording Magazineより抜粋)』

正に至言ですなぁ・・・・

そうそう、師は、かつて、なんとシュガーベイブ時代、長崎でライブをやったことがある(らしい)。しかも、実質的デビューライブだったという。時は1973年8月23日。(その頃僕は・・・ようやく、ビートルズあたりを聞き始めた頃)

場所は、僕らがよーくしっているNBCビデオホール(キャパ330名位)。マネージャーの長門芳郎氏が長崎出身だったからだという。(この件は、友人が経営するライブハウス“ティンパンアレイ”に詳しい)

これを見れた人は(200人ほど)は、何と幸せなんだろう。

・・・・・・

かつて師が言った言葉で、大好きなものがある。

『僕は、アーティスト(芸術家)というよりもアルチザン(職人)と呼ばれたい』

日本音楽界の至宝です。