Archive for 9月, 2011

 

モテキ!!

9月 24, 2011 in blog

初日の昨日、夫婦で観に行ってきた。

これは我が松尾家としては当然の行為だ。 何故なら、娘が出ているからだ。

image-21.jpgただし!! トータル約2秒!!  しかも、メインキャスト斜め後方のため、家族以外ではほぼ識別不能。。。

(宣伝でも使われている、御神輿のシーンにダンサーとして登場・・ビキニじゃねーよ。)

しかし、出演者テロップでは、メインキャスト陣の次あたりの高位置で登場。

まっ、これは、娘の師匠である、川崎悦子氏が高名であるがゆえだろう。

それはそれとして、意外におもろかったこの映画。

特に、リリーフランキーの脱力ぶりが群を抜いていて、とても好きだ。

(この人、いつの間にか役者になっている)

それと、主役の一人、長澤まさみの役名が、なんと我が奥方と同姓同名(字も同じ)、これには大受け!!

それ以外では、長崎県出身の仲里衣紗 が、とてもかわいかったことくらいかな・・・・好きだ。

当然だが、僕の友人は、全員見るように。

山下達郎 様

9月 16, 2011 in blog

言わずと知れた、日本を代表するPOP MASTERの一人。

僕らの世代にとっては、『師』とも呼べる大先達だ。

僕が、師を知ったのは、もう30年以上昔・・・・19才だった。

ソリッド・スライダー(SPASY)、ペイパー・ドール(Go Ahead)あたりにぶっ飛んだ。

当時、日本の楽曲では初めて聞くようなファンキーなリズム、間だらけで無駄の無いイカしたアレンジ、そして何と言っても、達郎さんの最高のボーカル&メロディ。すべてが完璧で、完全にノックアウトされたのをよく覚えている。

それまで、洋楽一辺倒(ユーミン等ほんの少数をのぞき)だった僕を、ぐーっと国内へ目を向けさせるきっかけにもなった。

どのアルバムも素晴らしいが、僕の中では、82年発売の『For You』で、一つの頂点を極められたような感を持っている。

ラジオから流れてきた『Sparkle』にやられた僕は、そのままレコードショップへ買いにゆき、当時のバンドでカバーしてライブでもやった。

改めて聞くと、ほんと当時のミュージシャンは巧い。(師は、ライブサウンドも最高なことで有名。)

※ あくまでも音質優先に選んだ画像なのであしからず。

この最高にイカしたイントロのギターカッティングは、師自身による演奏で、フェンダー・テレキャスター(ローズネック)をSSLの卓にDIを通してダイレクトにぶち込み、Urei1176(コンプ)だけをかけて、ステレオ・ダブル録音されたという。

しかし、こんなギターのノリ、中々出せるもんじゃございませぬ・・・恐るべし

同時に、当時、常にタッグを組んでいた日本を代表するエンジニア、吉田保巨匠の素晴らしいサウンドも合わせて楽しんでほしい。(名盤とは、常にすべてが揃っている。)

あと、これらオールジャパンチームに対して、シュガーベイブ時代の超名曲『Windy Lady』を、ソロデビューする際ニューヨークの一線級ミュージシャンとやっているので、これも貼っておく。

当然、赴きはかなり違う、ノリも、サウンドも・・・・

とは言っても、ここ十数年、師の作品はほとんど聞いてない。

510v0deanql_sl500_aa300_.jpgそんな師が、近頃新譜を出され、それに合わせて各紙にインタビューが掲載された。(Ray of Hope)

小生、その内容にいたく感銘を受けたので、内容をいくつか転載したいと思う。

『僕が何のために音楽を作り続けているかというと、純粋に作品をよりよくしたいということだけなんですね。

そして、なぜ音楽を売りたいかというと、アルバム制作費を増やしたいから。

ソロ始めた頃は全然売れなくて・・・・・生身のミュージシャン呼んでレコーディングしているわけだけど、トライ&エラーなんてものは許されなかった。・・・・

“もう一度録るなんて予算の問題で無理だ”ってスタッフに言われるのね。それで僕はレコードを売ろうと思ったんです。

・・金を儲けたいとかスターになりたいとか、そういうことじゃないのね。要はもうワンテイク、もう一曲録りたいだけ。

今の若いバンドもローバジェットな制作を強いられているよね。レコーディングまでに曲を書いてこいって言われて、いざ曲を持っていったら作曲家気取りのA&Rにサビが弱いとか指摘される。挙げ句、ドラマーがヘタだって言われて後で編集される・・・・でも、メジャー・デビューできるならバンドも従っちゃう。

僕も若い頃同じようなことがあって、“お前、曲はいいけど詞が良くないから、他の作詞家を使う”って言われて、冗談じゃないって啖呵を切ったの。
下積みに戻ったとしても、そんな作り方をされるんだったら辞めるって。そこは僕の主張が通ったんだけど、ケンカしなくちゃいけないときっていうのはあってね。

何で自分は音楽をやっているのかを考えたら、その相手言うことは聞けなかったんです。

だから、若いミュージシャンの人たちは“ここは妥協してくれ。売れたら好きなことができるようになるから”って言われても聞いちゃだめですよ。絶対そんなことないから。

初めからやりたいことを通さなかったら、有名になっても好きなことはできない。・・・・自分の音楽表現に対して絶対に妥協しちゃダメ。(Sound & Recording Magazineより抜粋)』

正に至言ですなぁ・・・・

そうそう、師は、かつて、なんとシュガーベイブ時代、長崎でライブをやったことがある(らしい)。しかも、実質的デビューライブだったという。時は1973年8月23日。(その頃僕は・・・ようやく、ビートルズあたりを聞き始めた頃)

場所は、僕らがよーくしっているNBCビデオホール(キャパ330名位)。マネージャーの長門芳郎氏が長崎出身だったからだという。(この件は、友人が経営するライブハウス“ティンパンアレイ”に詳しい)

これを見れた人は(200人ほど)は、何と幸せなんだろう。

・・・・・・

かつて師が言った言葉で、大好きなものがある。

『僕は、アーティスト(芸術家)というよりもアルチザン(職人)と呼ばれたい』

日本音楽界の至宝です。

久々の

9月 06, 2011 in blog

ts3n01270001.jpg投稿です。今年の夏は、おかげさまで非常に忙しく更新する暇もなかったっす。天気も極悪で、なんだか8月中雨だったような感じ。

PHOTOは、これまた久々食した『桃苑』のランチ。

この日は、担々麺と、その他数点のおかず。どれもうまかったが、やはり担々麺は出色。何度も言うが、これで840円は凄い・・・・素晴らしい。

そんな日々の中、世の中も目まぐるしく動いている訳で、何人目だか分からん首相が誕生したようだが、もとより期待などできるはずもなく、一日も早く、この馬鹿すぎる政府を打倒しなければ、我ら日本人に幸せなど来ない。

ぼんやりしている間に、とんでもない法案を可決しようとしたり、福島の本当の姿も隠蔽したりして、国民を騙くらかすような連中を決して信じてはならない。(この辺りはまったくマスコミは報道しない)

思えば、この日本は、これまでの歴史の中で三度、いや正確には四度、外敵の侵略を防いだ。

一度目は、元寇(二度)。守ったのは鎌倉武士。

※これも、学校で習ったような、神風が吹いて(台風)、 奇跡的に勝った、というようなものではなく、用意周到な準備をして迎え撃った鎌倉武士達の強さが元軍(大半は、支配下にあった中国&朝鮮軍だったようだが)を上回ったというのが本当のところらしい。

そして、これは数に入れないが、時期はそれから150年あまり後の1419年。あまり知られていない話がある。朝鮮李氏が和冦撃退を名目に、ちょうど守護が不在中の対馬に侵攻した。その数、約13.000。

対して、守ったのは、わずか600の対馬武士。

結果は、驚くなかれ、僅か10日あまりで対馬武士の大勝利。やりたい放題の完勝だったという。なんと一人で600人も叩き切った猛者もいたらしい。

数千の死傷者を出して逃げ帰った朝鮮は、対馬・宗氏の和睦案を呑むしかなく、対馬が日本であることを再確認させられ、毎年大量の米の献上を約束させられた。(これは明治維新まで続く)

そして、さらに150年後。時は戦国時代。世界を征服しかかっていたヨーロッパ(ポルトガル、スペイン)の魔の手がついに日本にも届く。つまり三度目の危機。

ところが時の支配者は、織田信長。 言わずもがな戦いの化身。

しかも、わずか30数年前に渡来したばかり鉄砲が、あっという間に研究されコピーされ、しかも進化し、数もすでに数万丁に及んでいた。(当時、世界最多)

これを見たフロイスをはじめとする宣教師(という名のスパイ)たちも、本国に、日本は手強すぎるので戦争は無理、と報告せざるを得なかった。

考えてみると、当時は、世界をポルトガルとスペインで勝手に二分して良い、なんていう恐ろしいまでに傲慢な取り決めまであったらしく、正に切り取り放題の殺し放題の搾取し放題だった訳だ。

その証拠に、アフリカ大陸、南米大陸、アジアの大部分が、ヨーロッパの植民地として、なんと第二次世界大戦後まで支配され続けるのだ。

そこに立ちふさがったのが、織田信長であり豊臣秀吉であり徳川家康なのだ。

※個人的に、織田信長の最大の功績は、意識して行った政教分離(宗教から牙を抜いた)、そして、無意識に行った、ヨーロッパからの防衛(それだけヨーロッパ人は信長を恐れた)だったと考えている。

つまり、当時の日本は、100年続いた戦国時代のおかげで、世界最大の軍事国家だったのだ。

そして、さらに約300年後、四度目の危機、ついにペリーが強大な艦隊を率いて浦賀へやって来る。

この時、へっぴり腰の徳川幕府高官たちに代わって、気が狂ったように立ち上がったのは、地方の若い武士たちだった。

まるで、天が使わしたに違いないと思えるほどの、豪傑、天才、が雲霞のごとく湧き出た。

※その多くは、維新前後で、これまた天の意思であるがごとく命を落とした。

そして、圧倒的な科学技術力、軍事力の差を痛感した彼らは、これまた驚くべき吸収力と早さで、あっという間に(たった30年で)、世界一等国並の国力を手にするまでになる。

彼らの思いはただ一つ、この愛すべき国土を侵略させてはなるものか(侵略民族白人の本質に気づいていた)、という無私の気概だけだったろう。

驚くべき事実として、アジアで白人国家に植民地化されなかったのは、我が日本だけなのだ!!!!

すべては、日本の武士達、つまり侍がいたお陰である。(ここに国防の本質がある)

第二次世界大戦後、まるで、以前の日本すべてが間違っていたかのような教育を受けてきた僕にも、ようやく最近、それが、ある意図のもとに計画され行われてきたことに気づいた。(遅っ!!)

それは、日本人から日本人の魂を抜くことにある。

今正に、それが成功しかかっている。それを許してはならない

※第二次世界大戦。アメリカは対日戦を太平洋戦争と呼び、我が国は本来、大東亜戦争という。
これも、本当のことは学校では決して教えてはくれない。

いみじくも、あのマッカーサーが朝鮮戦争の際、中国、ソビエト共産軍のやり方を見て、日本がかつて彼らとの戦争に踏み切った、踏み切らざるを得なかった理由がはっきりと分かった、との言葉を残している。

※これはそのまま、アメリカとの戦争にも当てはまるのだ。

今、日本が、自ら立つためには、自らを守るためにはどうすれば良いのか。その答えは、我らがご先祖樣方の歴史の中にある。