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便利屋 お元

9月 20, 2010 in blog

images6.jpg近頃の龍馬伝、というより、第三部、長崎が舞台になってから、急に面白くなってきた・・・

と、思っていたら、何なんだ昨日の展開。

その前の、薩長連合あたりからおかしくはなっていた。

いくらドラマとはいえ、まるで、龍馬なしには成立しないかのごとき展開。それほどナイーブなはずねーだろ、国同士が生きるか死ぬかという瀬戸際で。

良くも悪くも、龍馬は、一介の脱藩浪人なのであって、スーパーマンではないのだ。(晩年、龍馬は、この悲哀を思い知る事になる)

しかし、だからこそ魅力的なのだ。何のバックもなく己一人で起とうとしたところにこそ、龍馬の真骨頂があり、そこに俺らファンは喝采を送るのだ。

で、昨日。さらにおかしな事になっちまった。

images-13.jpg『霧島登山』・・・・何なん?これ?

塩浸し温泉〜霧島登山は、おとめ姉さんに送った手紙に詳細に描写してあったことも相まって、後に、日本初のハネムーンとして、非常に有名になったエピソードだ。

別に、ドラマの創作にケチを付ける訳じゃないが、とにかく陳腐すぎて共感できねぇのだ。

これは、お龍とともに霧島に登った龍馬が、頂上にある、その昔、神が国づくりに際して突き立てたという『天の逆鉾』を、そんな神話をものともせず、面白がって、お龍と共に引き抜いたという話が真実だ。

そもそも、カビの生えた伝説や、古めかしい常識を、ハナで笑って生きてきた龍馬にこそ、魅力があるのだ。(この逆鉾エピソードは、そんな龍馬を活写するものとして光彩を放っている。)

そして、だからこそ、混迷を極めた幕末に、明るい未来への松明を掲げる事ができたんじゃないのかい?

それが『これからは、わしがこの国を引っ張って行くがじゃ。』なん?この軽さ。つーかまるで普通じゃん。どこに龍馬らしさがある?

(らしさと言えば、お龍も実にらしくない。真木よう子さん自身は魅力的ではあるが、龍馬が感じた『実に面白き女にて』という面白さ(ある意味非常識さ)は、全くない。せいぜい、とても勝ち気だというくらい。)

images-2.jpgそして、長崎、丸山の芸妓、お元。

彼女の事は、茂木村(現在の長崎市郊外の茂木町。漁港。)の出身である事、当時、18歳くらいだったらしいこと、龍馬・後藤象二郎の清風亭会談に、龍馬のなじみ芸妓として同席したこと、くらいしか分かっていない。

それをいいことに、隠れキリシタンにするは、奉行所のスパイにするは、まさにやりたい放題。

そして先々週、唐突に、あまりに唐突に、嫉妬のあまり龍馬に身請けをねだったかと思ったら、さらに突然の池内蔵太(いけ くらた)のプロポーズ。しかも、それを意外にも嬉しそうに受けるお元。(誰でもいいんかい?!)

これじゃ、喜劇を通り越して悲劇だ。(お元が可哀想すぎて。せっかく、蒼井優ちゃんが演じているのに。)

死地に赴く池君を盛り上げるためにしても、唐突過ぎるし軽過ぎるし、何の効果にもなってねーし、頭、悪すぎんじゃね?

まさに、便利屋お元。バカにし過ぎだ。お元に対しても、志に殉じた池に対しても、視聴者に対しても。

images-3.jpgだいたい、この龍馬伝、以前から気になっていたが、龍馬サイドにいる人間に対して、美談にしすぎる傾向がありすぎる。

以蔵しかり、武智しかり、長次郎しかり。

以蔵は最後まで、イノセントなだけの青年だし、武智は、最後まで大殿様大好きで、容堂公お出ましに喜んじまって、あっさりゲロッちまうし、ありえねーだろって。その後の、凄まじい三文字割腹する男に、つながらねーだろって。

長次郎にしても同様だ。

あれだけ男どもがゴロゴロいれば、それだけで、意見が、志が、ぶつかりあって、火花散らして、ねじれて行くもんだ。

だからこそ、面白いんじゃん!! リアルなんじゃん!! 共感できんじゃん!!

それとは対照的に、反対サイドにいる人間に対しては、徹底的に悪に描いている。

マユなし慶喜に、殺人鬼・近藤 勇 (役とは別に、原田泰三君は、素晴らしい役者だと思う。)、アル中(これは事実)容堂に、いつも怒っている後藤象unknown.jpeg二郎。

分かり易くしなきゃいかんのは分かるが、薄すぎて、腹立ってくる。

ナビゲーター・弥太郎に至っては、新撰組に捕まって、拷問のあげく、重要人物として龍馬の名をチクっちまうなんて有り得ねー展開をみせるし。

大体、史実ではこの時期、二人は、まだ出会ってもいない。(この少し後、弥太郎は、土佐藩の経理担当として、龍馬は、藩お抱えとなった海援隊隊長として、長崎で、初めて顔を合わせるのだ)

それに、そろそろ、クライマックスになるであろう、龍馬暗殺の伏線が張られ始めているのが見え見えで腹立つ。

まず、会津藩(見回り組、新撰組)ライン、後藤象二郎ライン、マユなし慶喜ライン、西郷吉之助ライン・・・・こんなとこか。

さてさて、いかなる結末になるのか。しかし、期待できそうもねーなー、この脚本・演出じゃ。

まっ、そんなことはいいとしても、この龍馬伝を見ていて腹立つのは、実在の人物である坂本龍馬の本質を外しているという事。だからこそ、ストーリー展開に無理が出てくるのだし、共感できないのだ。

例えば、司馬遼太郎大先生の『竜馬が行く』が、何故、素晴らしいのか。

いうまでもなく、あの名著も、あくまでも小説ではあるが、その本質を外していないからに他ならない。

つまり、坂本龍馬という若者が、何故、一介の浪人でありながら、あれほどの大仕事を成し遂げられたのか、その人となりの本質を丹念に掘り起こしてみせてくれたからだ。

そこがブレれば話にならない。

そもそも、龍馬伝は、最初から、 平和主義の龍馬、けんかはいかんぜよ龍馬、優しい男龍馬、というイメージを作りすぎたところに無理がある。

だからこそ、間抜けな展開になる。

例えば前回、薩摩から、最終的には武力倒幕を捨てない旨宣言され、それを支持しないのなら舞台から降りろと脅されれば、あっさりと戦争参加を宣言し、社中の連中から猛反発を食らうという、アホ過ぎる展開。

龍馬自身(本音はどうあれ)最終段階に至るまで、革命のために戦はさけられぬと見ていた訳で、そのための軍備であり海軍だったはずだ。(抑止力であったとしても)

亀山社中発足時のビジョンにしても、平時は商いを、戦時は、海軍に(何のための神戸海軍塾だったのかつーはなし!!)と、はっきり定義していた訳で、連中まで平和病が伝染していたなど、ありえないのだ。

事実は、まるで逆なのだ。

images-5.jpegつまり、この段階では、龍馬も薩長とともに(中岡らも共に)、武力倒幕派として動いていた訳で、それが、ぎりぎりのタイミングで大政奉還などという起死回生の一打を打つところに、龍馬の本質が凝縮されるのだ。

いいさ、フィクションだからなにやっても。でもさ、感動させてくれよ、共感させてくれよ。

せっかく、ここんところ、役者陣は素晴らしくなってんのにね。実に残念。

これじゃ、俺たちが大好きな龍馬がピエロになっちまう。