Archive for 7月, 2009

 

龍馬会・後編

7月 28, 2009 in blog

なんやら、夏にはほど遠い感じですな〜。豪雨が続いたからか、過ごしやすい温度だ。

去年の梅雨明けは早かった。ブログを見てみると、7日の七夕には明けてる。辻褄合わせでもないやろうに。今年の梅雨明けは、いつになるのか、明けぬまま秋なのか、それも又由やけどね、老体には。あっ、お百姓さんは困るな〜。

さて、いよいよ後編 、今年の龍馬会リポート最終回。メインイベントである『料亭へGO』の巻、始まり始まり〜。

aoyagi1-10.JPG 着替えもすませ、さっぱりした僕らは、電車で思案橋へ向かった。

土曜日でもあるし、電車は満杯。

みんな呑み会かな? 若い人が多いし。。。。

殆どの客が減らないまま電車は思案橋へ着いた。てっきり、みんな思案橋方面へ向かうのかと思いきや、僕ら以外 、ほぼ全員、浜の町方面へ向かった。

はぁ〜、なーるほどね、これじゃ、銅座は寂れる訳だ。

昔日の面影を完全に失った思案橋を歩く。30年ほど昔、ここは僕の仕事場だった。その頃の思案橋、銅座ときたら、盆と正月とクリスマスがいっぺんに来たような華やかさと喧噪の毎日だった。今の若い人には想像もつかんやろうな〜。

そんなことを考えながら、足は、丸山の石畳を踏み進む。僕が、このへんをチョロチョロしていた頃は、まだ、遊郭後の建物が残っていて、一間毎の間貸しをしていた。

aoyagi-105.JPG

若いホステスさんやボーイたちがたくさん住んでいた。もっとも、その頃の僕は、その歴史的意義なんぞ知る由もない。古くてきったねートコだなー、ぐらいだった。後に、ここは火事ですべて焼け落ちた。

150年前、龍馬たちも、きっと上ったであろう丸山の緩やかな石畳の坂の入り口に料亭『花月』、途中に芸妓の元締め『長崎検番』。そして、上り詰めたところに、今日の目的地、料亭・青柳がある。

石の階段を上って玄関をくぐると、すでに、女将と若女将が待っていた。さすがだね〜。

予約の名前を告げると、すぐに、待合室に通された。

普通の和室の応接室という感じ。。。。部屋いっぱいに北村西望翁の書画が溢れている。この方は、長崎平和公園にそびえる平和祈念像の作者だ。

matiai-108.JPGみんな、こんなとこは慣れないので所在なげだ。。。やがて、若女将が迎えにきた。

この青柳という店は、始め、浜の町にあったという。現在も、何とかという鰻料理店だ。創業は昭和の初めというから、それほど古くはないね。

それから、戦後のごたごたの後、今の丸山の場所を買い取って移ってきたということだ。

この建物自体は江戸時代からあるらしい。。。。すばらすぃ〜 。。

古いだけに、少々傾いた薄暗い廊下を歩き、昔の日本家屋特有の狭くて急な階段を上り、さらに奥へ奥へ行く。

rouka-111.JPGやっと、部屋へ着く。いっつも思うことなのだが、花月もそうだったが、なんで蛍光灯なのだろう?

これじゃ、ただの古い和室だし、せっかくの御馳走の色も、心なしか 色あせて見える。

やはり、料理屋には白熱灯の暖かい明かりと間接照明が似合うと思うし、行灯やロウソクの明かりだった昔を思えばなおさらだと思うのだがいかがだろう?

莫大な光熱費を考えれば止む無しなのだろうけどね、なんか残念だ。

そんな無粋は決して口には出さず、目の前の赤い丸テーブルにずらりと並んだ御馳走の数々を凝視する。

ryouri-12.JPG

箸を取ろうとすると、すかさず女将がぴしゃり!! 『まだです。』おっとー、きびしいーっ。

お年の頃は、70位か? 小さい体にエネルギーが満ちた感じがするかくしゃくたるおばあさんだ。

しばし、マナーについての講義が続く。勿論正座だ。おひれのいわれに始まり、皿の模様の意味、返杯のマナー等、かつて聞いたことがあることも初めて聞くこともある。

テーブルにある水の入った壷で杯を洗い、相手に渡すのが正式な返杯らしい。

一通りの説明の後、ようやく乾杯。プッハー 、このために生きてる気がするよまったくー。

sasimi-13.JPGやっぱ、刺身だよなー、始めは。僕が長崎に生まれてよかったーと思う瞬間でもある。

僕の知り合いの、魚にうるさい親父たちだけでなく、本職のすし屋の大将も言ってたっけ『全国回ったばってん、長崎の魚が一番うまか!!』

僕は全国回った訳ではないが、そう言われると嬉しいし納得する。厳密に言えば、五島や平戸に行けば、さらに一段美味い魚を味わえる。

さすがに料亭、刺身一つ一つ、良いもん使ってる。新鮮で甘い。特にウニが美味かったなー。

長崎ではあまり好まれないマグロのトロも美味かった。長崎人は柔らかい魚を嫌う。ので、マグロはあまり好きではないが、これはこれで美味かった。

いろんな料理を味わいながら、女将や若女将と話に興じる。カラオケもなくBGMすらなく、オッパイの見えそうなお姉ちゃんもいない。ただ、たおやかな時間がゆっくりと流れる。

できるなら、これに三味線の音でもありゃ最高なのだろう。

haha-15.JPG酔いが進むと、口も軽くなる。厳しい女将さんも、よーしゃべるしゃべる、こりゃー、若女将大変だー。写真よりは、目がきりっとして若く見える。

(美人の若女将、横浜から嫁入りしたらしい。より大変だろうね。)

しかし、さすがに生き字引、僕が歴史好きだと分かると、急にノってきた。昔の長崎の話を、たくさんしてくれた。

まさに、長崎の戦後の栄枯盛衰をその目で見てきた人なのだ。

(ここに載せるには、はばかられるような内容も多かったので割愛。)

seiyou-14.JPGしかし、長崎は狭い。話の途中でそれが証明される。今回の幹事、塚○氏の実家と、ここの女将はかつてご近所さんだったことが判明。親兄弟のことを知り合う中だった。ほんと、狭い。

やがて料理は、珍しいものが出てきた。名前は、西洋料理、というらしい。事実だ。

食ってみた。中身は味の濃い醤油味の煮物で、上にパイが乗っている不思議な料理だった。

不味くもないが、無くても良いかな。。。。。

やがて、ビールから日本酒、日本酒から焼酎・・・ちょうど良い気分。

sime-16.JPG料亭にいると何故か時間が早く過ぎる。

あっという間の三時間。

ご飯を食べて、〆に出てくるのは、お汁粉。それが長崎風。

美味しかったし楽しかった。やっぱ、料亭って良いね。

あっ、またしても、龍馬の話をすんのを忘れた。なぜか酒を飲み始めると龍馬の話を忘れる。

正直に言うと、僕にとって、龍馬にはまった日々というのは、はるか30年近く前。

めちゃくちゃ憧れたし調べまくった。やがてその情熱は、11年前、一本の劇作の中で、彼ととことん向き合うことで頂点に達する。

勿論、今でも大好きだし、目についた新刊本は買う。しかし、取り立ててどうだこうだと話すほどの熱は冷めているのかもしれない。

もはや、僕にとって、坂本龍馬というのは当たり前の存在なのだ。ちょっと遠くにいる親戚のおじさんのような。そして、ちょっとかっこいいおっちゃん。普段はズンダレだけど、いざとなれば頼りになるような・・

しかし、龍馬さんには感謝しなきゃね。あんたのお陰で、こうして旨い酒が呑める。

これからも、よろしくたのんます。

・・・・・・・・

この後、さらにもう一軒、僕の先輩がやっている、音楽バーに行った。

ちょうど、長崎を代表するスケベボイスの持ち主、マンボ稲松さんのライブだった。

一発目、レオン・ラッセルの『Song for you』ん〜、この声で、一体何人の女性を濡らしてきたんだろうか?

稲松さんのスケベボイスも堪能できたし、思い残すことも無く、二時間後やっとお開き。11時になっていた。

一年に一度、気の置けない仲間で、一日中歩き、バカを言い、美味いもんを食す。そして、笑う。

これって、かなり、幸せな事なんじゃないかな。。。

最後に、今回の全ての段取りを仕切ってくれた塚○氏、転勤先の福岡から馳せ参じてくれた上、全てのPHOTO を提供してくれた小○氏に感謝です。 特に、幹事の塚○氏は大変だったろうと思う。本当にお疲れ様でした。

これに懲りずに、また幹事やってね。ヨロシク!!

来年の開催を約束して解散。来年の幹事は岩○氏かな? 頼むばい!!

龍馬会・中編

7月 27, 2009 in blog

いよいよ、七月も終わり近くになって来て、仕事も忙しさを増してきた昨今ではありますが、本番は八月でごわす。

身体壊さんようにせんとね。(もう壊れてるけど)なんちゅうても、身体が資本の仕事やけんね!!

さて、中編である。(本当は、前後編二編にまとめるつもりがまとめきれず・・・・)

伊良林町の隣には八幡町がある。ここは、僕が高校時代、下宿をしていた町だ。

高校入学と同時に僕は家を出た。というより出された。

実は、この八幡町の下宿は三軒目だった。それまでの二軒は、追い出された。

三軒目のおばちゃんというより奥さんは、とても優しい人で、追い出されずにすんだ。やれやれ・・・

色々やらかしたからね、実家でも下宿でも・・・・・とほほな僕の思春期時代。。

seika-7.JPGそれはさておき、伊良林町は、僕が生まれた時に住んでいた町だ。

何と、その時の家(いわゆる生家)が、まだ残っている。(P-7)

この家は、昭和初期に建てられた、いわゆる京風町や造りで、この辺り一帯、タイムスリップしたかのような佇まいを残しており、雑誌等でも取り上げられる事がある。

今でも、僕と縁ある方が住んでいる。

僕が高校ぐらいまでは、中通り一帯、こんな造りの家が多かった。

残すのは大変だろうが、京都のように残しておれば、大変な観光資源になった事だろう。

その点で言えば、長崎の行政は、これまで数々の失敗を繰り返し続けて来た。大浦居留地にしても、浦上天主堂等の原爆遺構にしても、この中通りから浜の町一帯にしても、・・・・・

役人や議員どもは、一体何のためにヨーロッパとかに視察に行っているのやら・・・目が悪いのか頭が悪いのか?

今長崎市で問題になりつつある、県庁移転に伴う跡地利用はどうするのか、非常に僕は注目している。

(長崎県庁跡地は、長崎の歴史の原点ともいえる最重要歴史地点の一つでもある。)

県民にアイディアを募っているようだが、どうなる事やら・・・(勿論、僕もアイディアを出すつもりだ)

話しがそれた・・・・

三人のメタボは、とぼとぼと中島川沿いを歩きつつ、往時の長崎に想いを馳せる。

tamagawa75.JPGふと、立て看が目に留まる(P-2)。。。どうやら、ここにも、幕末から明治にかけて料亭があったらしい。

『玉川亭跡』とある。川魚料理で有名だったらしい。右の写真は、木戸孝允。龍馬の盟友の一人だ。当時の名は、桂小五郎。

まさに、ここで、慶応三年八月二十日(龍馬暗殺のわずか3ヶ月前)、龍馬と小五郎が会談した、とある。

どうも、同郷の土佐藩士、佐々木三四郎を、長州藩の重役である小五郎と、その部下の伊藤俊輔(後の博文)に、龍馬が引き合わせたようだ。

しかし、当時の料亭一様に言える事だが 、これらの店に、長崎の一般庶民が客で行く事は、殆ど無かったらしい。行けても、ごく一部の豪商他の特権階級だけだろう。

客のほとんどは、他藩から、いわゆる商用で来たとか、遊学のために来た、とかの高級侍に限られたようだ。

僕ら、まさに一般庶民としては、ちょっと複雑。・・・・・・

さて、歩き始めて、すでに4時間近く、僕のひ弱な足が悲鳴を上げ始めている。

lemon-8.JPGmilk-9.JPG隊長がちょうど良いタイミングで、休憩を告げてくれた。すばらすぃぞー、隊長!!!!

場所は、公会堂横の松翁軒の二階の喫茶店。

ここは当然、長崎名物ミルクセーキなのだが、へそ曲りの僕だけ、レモンスカッシュ(P-3)を注文。

レスカ、ね。いやー、懐かすぃくて、すっぺくてウンメェー。

他の2人は勿論、ミルクセーキ(P-4)。これも美味いに決まっている。

しかし、ミルクセーキが長崎にしかなかったなんて、つい最近まで知らなかった。。。

ここで、しっかり休息を取った僕らは、いよいよ、今日のメインイベントへ向けて、準備すべく、僕のオフィスへ向かった。

といっても、汗まみれのシャツとパンツを着替えに行くためなんだけどね。

いくら何でも、汗くさい半ズボンの中年男じゃ、料亭に失礼だろう、と思ったのだ。

途中、現在KTN長崎放送になっている、後藤象二郎邸宅跡を横目で眺め、我がオフィスへ向かう。

オフィスで、エアコンで涼みつつエロ話、もとい哲学的会話に興じていると、ちょうど良い時間になってきた。

さぁー、いざ行かん、料亭『青柳』へ!!

後編へ続く・・・・・・

龍馬会・前編

7月 25, 2009 in blog

話は遡るが、先週の土曜、つまり、7月18日、我ら龍馬会は、延び延びになっていた定例会を行った。

(今回は長くなるので、前編・後編に分けます。)

何だか大げさだが、去年の3月のブログにも書いたように、ほんの仲間内のオヤジ遊びなのだ。

(長崎市には、先輩諸氏による、本格的な龍馬会が別にある。)

そもそもは、僕が11年前、ブリックホールの柿落としで脚本・演出した舞台作品『長崎時空漂流記』を見た友人の小○氏がいたく感動し、僕に提案し発足に至ったのだった。(この作品には、龍馬が、重要人物として登場する。)

とはいっても、メンバーはたった四人。でも、増やす予定はとりあえず無し。

(ただ、残念な事に、オリジナルメンバーである岩○氏が、急遽、都合で参加できなかった。とほほ。。。)

内容はこうだ。

まず、龍馬縁(ゆかり)の、長崎市内の名所旧跡をさるく。途中、長崎名物を食す。そして、夜は料亭でしめる。

この料亭ツーとこがキモやね。

元々は、龍馬と言えば『花月』『花月』といえば龍馬、というぐらい、料亭・花月と龍馬の関係は深い。

で、一回目の『龍馬会』の〆は、当然、花月、と相なった訳だが、 せっかく長崎には、古くから続く名代の料亭が数々あるのだ。

つまり、これを契機に、長崎の料亭巡りもやっちまおう、という話しなのでござる!!

長崎の生きた歴史に触れるまたとないチャンスだし、楽しそうだしね、お大尽ぽくて!!

最後は、京都の祇園で総揚げだ!! もしくは、パリのムーラン・ルージュでフレンチ・カンカンだ!!(違うか?)

要するに、今のうちに行っとかんと行かんうちに死んでしまうかもしれんけんね、死なんうちに知っとこ!! というとなのだ。

あくまでも、向学心なのである。

さて、今回の幹事は、メンバー最年少の塚○氏。といっても、勿論オーバー40だ。

凝り性の彼らしく、その内容は分刻みのモリモリのものだった。ので、おじさん、ちょっと泣きを入れて少しカットしてもらった。何せ、体力がね・・・・・・

yosiso-2.JPGchawan-12.JPGさーて、午後0時いよいよスタート。始まりは、吉宗(P-1)で昼食。長崎人は、よっそう、という。

創業は慶応2年、ということなので、新し物好きの龍馬のこと、きっと食べたに違いない。

そんな事は抜きにしても、この茶碗蒸しと蒸しずし(P-2)の味は、やっぱ堪らんね、長崎人にとっては。

僕が初めて食べたのは、恐らく4歳ぐらいのとき。物心つく頃には既に来ていたと思う。

その頃となんにも変らないのも良い。つーか、変らないから良いね。味も、建物も、下足番のおじさんも。

さて、吉宗を出たら、そのまま万屋町にある『清風亭』跡を見学。塚○氏の、詳細な説明を受けつつ、今は駐車場になった場所を眺める。ここは、龍馬と土佐藩の重役である後藤象二郎が、歴史的会談をした場所として有名。

身分が上である後藤象二郎が、龍馬に気を使って、龍馬の馴染みの芸妓、お元を呼んでいたという。中々乙な事するね、昔の男も。

で、すたすたと歩き、油屋町を抜け、・・おおー、西沢が閉まっとる!! いつの間に?!

yasaka-31.JPGここはかつて老舗百貨店だった。そして、次の目的地、大浦お慶のお墓の主、つまり、大浦お慶の邸宅跡なのだ。まさに、時の移ろい、無常を感じる。

正覚寺につづく裏道を行くと、やがて、左手に八坂神社(p-3)が見えてきた。ここは、例の『長崎時空漂流記』のCMを撮った思い出のある場所だし、確か、夏にはほうずき市もある、長崎らしい情緒の残る場所だ。

ここを上って、隣を通り抜けて・・・・抜けられない・・・工事中だ。

今上った階段を下って、その先からまた上る。・・・・・・やがて、行き止まり 。構わず上る塚○氏。

yabu-4.JPGokei-52.JPGおいおい、ここ上んのかよ?! (p-4)薮ばい、ヤブ!! ヤブを突っ切って上る。そして下ると、そこにやっとあった、お慶さん墓所。つくづく、昔の人は足腰が強い。

(P-5)しばし拝む。・・・しかし、亡くなる頃には、大変な借財を負って没落したという話を何かで読んだ事があるが、この墓所を見る限り、そんな事は感じられない。広さも大きさも充分で、とても立派なものだった。

やっぱ、実際に見なきゃ分からんね。2リットルぐらい汗かいたので、しばし休憩。

大浦 慶という人は、幕末の頃、茶貿易で財を成した人であるが、女だてらにとてつもない豪傑だったらしい。

船底に忍び込んで上海へ密航しただとか、伊藤博文なんかを、三助(風呂の垢擦り)扱いしていただとか、枚挙にいとまは無いが、いずれも風聞の域を出ない。まっ、尾ひれ、はひれってやつだろう。

しかし、それ程の度胸と気っ風の持ち主だった事は間違いない。

龍馬達海援隊も、様々な形で世話になっていたと思われる。ひょっとすれば、ちょっとは、男女の色彩を帯びる部分もあったかもね。。。 いつの世も、モテる男はモテる。。。。

因に、今回の幹事、塚○氏の生家、この墓所の目と鼻の先にあったらしい。彼もガチやね〜。(長崎っ子として)

ryouma-6.JPGimg_0656.JPGここからはバスだ。風頭という山のてっぺんに行くので歩くのは止めた。

ここには、お約束の龍馬像(p-6)がある。顔は全然似とらんね。既に、数組の観光客が来ている。来年になれば、凄い事になるのかもね。(大河ドラマ『龍馬伝』が始まる)

下る途中で、亀山社中資料館に寄る。ここにも若い人がたくさん。人気あんな〜龍馬。

一応、ストラップを一個買う。(P-7)500円也。

ずんずん下る。長崎を円形劇場と称した人がいるが、まさにそんな感じ。山と山の狭間で巻き起こる歴史スペクタクルを、斜面の観覧席から高みの見物と洒落こむ・・・・なーんてね。

やがて、竹ん芸で有名な若宮神社を抜け、伊良林町に出る。・・・・・・僕は、ここで生まれた。

※後編に続く・・・・・

皆既日食

7月 22, 2009 in blog

今日は、46年ぶりに日本でも観測できる皆既日食らしい。

46年前と言えば、僕は幼稚園へ上がる前。覚えているはずもない。

たいして関心もないまま本日を迎えた訳だが、たまたま見てしまった。というか見えてしまった。肉眼で。日食を。

ns1_160-120.jpgちょうど、出勤しているときだ。ずいぶん暗くなったな〜と、あたりを見回すついでにふと上空を見上げると、なんとそこに、ちょうどいい具合に雲がフィルターになって、三日月型になっている太陽の姿がはっきりと見える。

(PHOTOより、もっと細くて、周りはもっと明るかった。あくまでもイメージね。)

さすがに、ちょっと興奮していると、そこらに立っている人全部が口を開けて見上げていた。

こっちの方がオモロかった。

しかし、蝉は泣き止み、心なし、気温も下がった。

その昔、人々が、この世の終わり、と恐れおののいた気分も分かろうというもんだ。恐るべし、太陽。

次に日本で見られるのは、26年後らしい。その頃、はたして僕は生きているのだろうか?。。。

そう思うと、宇宙の果てしない大きさと、我が身のちっぽけさを感ぜずにはいられない。

生きているうちが花、と、改めて思う、皆既日食の今日、2009年7月22日でした。

続・TASCAM 234

7月 15, 2009 in blog

090715_115001.JPG本日のランチ。銭座町のグレープナッツで頂いた、ボンゴレとデザート。

ボンゴレは、数あるパスタの中でも最も好きなものの一つ。アサリの出汁と白ワインの芳醇な味わいにバジルの爽やかな香りがアクセントになっている逸品だ。美味し!! メイプルシロップの乗ったデザートも勿論美味かった。(名前は知らん。)

お客さんも多く、オープン以来わずか半年にして、すっかり定着したみたいだ。よかったよかった。。(ここのオーナー夫妻とは友人)

さて、昨日の続きである。(今回は殆ど独り言なので、本当に興味のある方のみお読み下さい。)

数ある当時の僕の駄曲の中から、又一つ、オモロいものを発見。

これは、当時ハマっていた、ボブクリ(80年代を代表するアメリカのエンジニア)ミックスの、ホール&オーツの作品に触発されて作った一曲だったと思う。(アダルト・エデュケイションだったと思う。)

プロデューサーが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのナイルロ・ジャース(元シックのギタリスト)だったため、とにかくリズムとギターカッティングパターンがカッチョよくて、それっぽいものをやってみたい一心で作ったようだ。 それと、ゲートリバーブもね。

090715_115901.JPGそれが、4トラックに、丸まま最初のテイクから最終テイクまで残っていた。

これはオモロい事になりそうだ。。。。

つまりこうだ。当時の僕は、まず、2トラックに、ステレオに処理したドラムとベースを録音し、残り2トラックに、ギターとキーボードを録音する。

それを、ミックスしつつ他のカセットにドルビーCでダビングし、それを、4トラックの2トラックに戻し、残り2トラックに、他の何かを録音する。

この作業を、アレンジ終了まで繰り返す、という途方も無い荒技を駆使していたのだ。

(分離後の実効総トラック数、16!!!)

その全行程が残っていたため、全てのファーストジェネレーションを取り出す事が可能になった。

数年前、ビートルズが、この手法で、『イエロー・サブマリン』を蘇らせていたので、これをそっくり自分でもやってみようと思ったのだ。

ただ、残念な事は、ドラムとベースが一緒のトラックで分離できなかったこと。これは痛いね。

でも当時の僕は、偏執狂的なまでにステレオドラムとステレオリバーブにこだわっていたためしようが無い。

それと、度重なるダビングにより、少しづつテンポがずれていた。音程がずれる程ではなかったし、曲全部を通すようなトラックもなかったので、それぞれの断片を少しづつ動かしてオリジナルテイクのリズムに合わせた。

これで、完全に全てのテイクがファーストジェネレーション(一回だけテープに録音された状態)のものになった。

自画自賛になるが、その録音状態は極めて優秀なものだった。234に搭載されているdbxノイズリダクションが優秀なためか、ほぼ、ヒスノイズは気にならない。

音のない部分をスプライスすれば、新たなノイズリダクションの必要は全くなかった。

とにかく、これでもかっと言わんばかりにいろんな事をやっている。

(この作品に関しては、公表するという意識はさらさらなく、ひたすらに音響実験を繰り返す僕の姿が見える。)

リバースエコーに、リバースギターソロ、コンプで恐ろしく伸ばしたナイロンギターのソロ、息で作った風の音、皿とディレイで作ったパーカッション、なんで作ったのかさえ分からないパーカッション。

(勿論、ドラムとベース以外は全て手弾き。)

dpm481.jpgそして、なんといっても力作が、ドラムに掛けたゲートリバーブだろう。

当時まだ、僕らはステレオのリバーブを持っていなかった。SPXとか影も形もなかった。

そこで僕は、ヤマハR1000というモノラルのデジタルリバーブとベスタファイヤーのスプリングリバーブを使い、何とか疑似ステレオリバーブを作り、それを、シーメトリックのノイズゲートに通し、何とかゲートリバーブらしきものを作っていた。(おー、何と涙ぐましい努力。)

因に、このとき使ったドラムマシーンは、いつものTR-808ではなく、借り物の、PCMタイプの少しリアルなヤツだった。(メーカーは日本ハモンドのJugg Box、商品名はDPM-48。PHOTO参照)

zip1.jpgギターアンプにしても、僕が持っていたのは、グヤトーンのちっこいヤツ(PHOTO)。ただ、2台持っていた。

この曲のエンディングソロには、強力にディストーションしたギターソロが欲しかった。そこで一計。

一台目のアンプにギターを刺し、いっぱいに歪ませる。そのラインアウトを二台目にぶち込んで更に歪ませた。

これは強烈だった。言う事無しのディストーションが得られた。ただ、恐ろしいまでのノイズ付きだったけどね。

マイクなんかは、ほぼ、Shure SM-58一本。

img_0655.JPGコンプにしても、僕が当時持っていたのは、マクソンのMXRもどきのコンパクトタイプのみ。

これを、いろんなものに使っていた。TB-303で作ったベースや、各種ギター、更にはボーカルにも。

ノイズも大きかったはずなのだが、意外に気にならない。

(PHOTOのMaxonのコンプ。購入以来なんと31年目、まだバリバリの現役だ。因に、汚い字のカキコミは、分かる人は分かる当時のバンドネームと、これを貸していたギタリストのニックネーム)

要は、工夫と情熱なんじゃな〜。。。。

いやはや、結構がんばってんじゃん!! 20代の俺!!

TASCAM 234

7月 14, 2009 in blog

この時期は暇だ。我が社は、毎年、2月、6〜7月は暇だ。2月は正月明けで真冬だからで、6、7月は梅雨だからだ。

しかし、今年の2月は大忙しだったのでありがたかったが、さすがに梅雨はそうはいかねぇー。やっぱ暇だ。

まっ、へヴィーな真夏を目前にしての小休止ととらえればそれも由なのだが、いかんせん貧乏性で何かやってないと落ち着かない。

忙しくも無いのに忙しいふりをすんのもみっともないし・・・で、マニアックなことにいそしむ事にした。

僕がこの仕事(サウンドエンジニアリング)の世界にどっぷりハマったきっかけと言えば、今を去る27年前に手に入れたTASCAM 244だ。

cimg0929.JPGこれは、世界初のカセット4トラックレコーダーを世に出したTASCAMが、より高性能化した第二弾の4トラックカセットレコーダーだ。

当時は、来る日も来る日もせっせとデモテープを作ったもんだ。

しかし、当然、いつしかラックの隅に追いやられ、骨董化しているうちに、ジャンクになっちまっていた。

去年の事だ。で、当時の音源は一切再生不能になってしまった。聞けないとなると、聞きたくなるのが人情。

そこでヤフオク。無いものは無い、出ないものは無いんですな〜。

ここんとこ暇に任せてずーっとチェックしていたら、出ました出ました、程度の良さげなヤツが。

img_0653.JPGそれが、このTASCAM 234。いわゆる244のミキサー無しのタイプ。むしろこっちの方が望ましいので速攻入札した。勿論、こんなもんに入札するヤツなんていないので、そのまま落札。

で、昨日到着。思ったよりも奇麗。見た目は完璧。速攻サウンドチェック・・・・・ん? ピッチが高い・・・・

こいつにはバリスピードがついているのでそれで調整。他は完璧。

まっ、これぐらいは良しとしなきゃね。

しかし、20数年ぶりに聞く我が声は・・・聞くに堪えないね。デモとは言え、なんでこんなにへたくそなんやろ。悲しくなる。

しかし、二曲だけ面白いものがあった。1曲は、この頃、頻繁につるんでいた、孤高すぎて誰も知らない天才=藤原(マサ坊)政規さんの曲を僕がアレンジして一緒に作ったもの。

さすが、孤高すぎる天才!! 二十代半ばにしては渋い曲調。哀愁が漂う・・・・孤高過ぎたからだろう。。

もう一曲は、長崎市では今も昔もお嬢様学校として名高き活水女子大の軽音サークルの女子にお願いされて、鼻の下のばしまくって作った一曲。ほぼ完全に忘れていた曲だ。

これがまた、鼻の下伸ばして作ったにしては、ぼちぼちの曲。時として、欲望は美しいものを生み出すのだ。

どちらも、自分のための曲ではないというのがミソなのだが、これを、DAWに取り込んで、最新システムを使ってブラッシュアップしてみようと思っている。オモロソー。いやー良い時代になったもんだ。

絶対、UPなどしねーよ。

秦 基博

7月 09, 2009 in blog

いよいよ梅雨も終盤、近所ではすでに蝉が鳴いている。いよいよ夏が来た・・・早いもんだ。。。

言うまでもなく僕は音楽が好きだ。好きでしようが無いから職業にした。

でも、最近はこれといってガツンと来るアーティストに出会わない。

CDショップに行っても、ついつい、昔、聴いていたヤツのリマスターなんぞに手が伸びる。

試しに、評判とジャケットデザインだけで買うと、大抵はハズレる。

ポップスと言われる音楽形態が生まれて、どれくらい経つのだろう? 60年位?

まっ、いずれにしても、この数十年で生み出された楽曲の数はそれこそ天文学的で、新たな才能といっても、そう簡単にはいかないんだろう。

特に僕は圧倒的洋楽派で、ほとんど邦楽(J-POP)は聴かない。

334531.jpgそんな僕が、最近、すごく気に入ったアーティストがいる。一人は、時々、このブログにも登場するSuperfly(スーパーフライ)。そしてもう一人が、この、秦 基博君。

今更なんだという人も多いかとは思うが、何しろ、日本の音楽をろくに聴いていないので、情報が遅い。

初めて聴いたのも、つい半年ぐらい前で、何かの音楽TVだった。

いやー、たまげたね。こんなシンガーが出て来たんだなーって。

スーパーフライの時も思ったが、彼らは、まさに、唄うべくして唄っている。

ちょっと訳分からん表現だけど・・・とにかく、そう思う。

曲も良いけど・・・何しろ歌が良い。ちょっとハスキーな声で、しかも高音になれば透明感を伴って伸びて行く。

理想的だね。ロック的には、少しソフトすぎるきらいも無きにしもあらずだが、とにかく歌が巧い。

僕的に、歌が巧い、というのは、ひとえに、自然に唄う事なのだ。

何者にも束縛される事なく、のびのびと唄う。間違っても、へんてこな歌癖を個性だなんて勘違いしないで欲しいもんだ。

しかし、勿論そこには、確実な音程と、圧倒的な声量、グルーヴィーなリズム感(日本人の弱点ね)が絶対条件だけど。

特に秦君、このリズム感が素晴らしいし、多分、声量も抜群だろう。

だめだだめだと言われる、昨今の音楽業界だが、きっと、まだまだ埋もれていると思う。彼らのような才能が。

ようやく日本にも出て来たじゃん、という感じ。

このPVは、秦君の『鱗 うろこ』です。僕的にも、まさに、目からウロコ でした。

50:50

7月 03, 2009 in blog

rep_key_007_s2.jpg人生って五分五分だな〜っていつも思っていた。

何かを手にすれば何かを失う。あるいは、何かを得るためには何かを差し出さなくてはならない。

連日続く、マイケル報道を見るにつけ、より強く思う。

彼は、世界で最も成功したエンターテイナーだった。

勿論、天才的才能も疑うべくもない。

これからもずっと、その活躍は約束されていたはずだった。

有り余る金も、才能も、名声も、全てを手にしたはずなのに・・・

※ それにしても、ここんとこのマスコミ報道にはうんざりだ。カネカネカネカネカネ・・
金にしか興味ねーのカネ? なんちって!

何もかも手に入れたはずのマイケルなのに、どう見ても幸せには見えない。。。。。

それはきっと、それらと引き換えに、手に入れられなかったものがあるからだろう・・・・

決して、金では買えないもの・・・唯一のもの・・・

512xv1stwel_sl500_aa240_.jpgしかし、そのたった一つのものこそが、彼を幸せに導く唯一のものだったのだろう。。。

皮肉なもんだ、人生をかけて鍛錬し、それでも足りなくて、全身を改造までして、理想の自分を手に入れようとしたのに、一番大切なもん、たった一つのものを手に入れられないなんて。。。

まるで、神話をジで行くような人生だ。これも、神の采配なのだろうか?・・・

。。。。

。。。

ふと、ポール・マッカートニーの詩を思い出した。生前のジョンが、ポールの最高傑作と珍しく激賞した作品だ。

『あなたが得られる愛の総量は、あなたが与えた愛の総量に等しい』 The Beatles『Abbey Road』“The End”より。