Archive for 5月 4th, 2009

 

清志郎さん逝く

5月 04, 2009 in blog

et-080211-1-ns.jpg世間はゴールデンウィークの真っ最中(僕は関係ないが)。

5月2日、ロックシンガー・忌野清志郎さんが亡くなった。以前から癌と戦っていることは周知だったので、ついに来たかとは思ったが、やはりショックだった。

彼こそ、日本には数少ない本物のロックシンガーの一人だった。歌声がロックだった(誰にも似ていない)。生き様がロックだった(何にも縛られない)。

ロックって何? と問われれば、それは、ブレないこと。彼は、その始めから最後までブレない男だった。

そのハードな内面を柔らかい笑顔で包んだ希有なアーティストだった。

僕が彼を初めて知ったのは、ちょうど東京で暮らしていた頃。
当時彼が在籍したバンド、RCサクセションの不滅の名曲『雨上がりの夜空に』 が、爆発的に売れていた。

サウンドとド派手なメイクは、まるっきりストーンズ(The Rolling Stones)だったので感心しなかったが、とにかく、その妙に耳に引っかかる甲高い声が印象的だったし、比喩に満ちたロックな歌詞にも影響された。実はストーンズパクリも、本当はかなり悔しかったのを覚えている。(その吹っ切れ感が)

だから、彼らのライブも3回程観に行った。非常にパワフルでエネルギッシュな上、かなりきつい批判めいたことも発言しているのに、何故か温かいという不思議なキャラクターに引き込まれた。

・・・・それから十数年経って、僕は彼の声をこの手で触れるチャンスを得る。

『普賢岳チャリティーコンサート』だ。

永らく休火山だった長崎県島原半島の普賢岳が1990年突如活動を再開し、1991年火砕流と言う当時はあまり認識されていなかった高温ガスによる壊滅的な被害を島原地方に与えた。

これを援助しようと、泉谷しげるさんを先頭に、数多くのアーティスト(吉田拓郎、井上陽水、さだまさし、小田和正、山下久美子、大友康平、浜田省吾、横道坊主、他)が集結し、チャリティーコンサートが行われた。

清志郎さんは、たくさんの超大物アーティストの一人として、僕は、FM長崎の公開録音の録音エンジニアとして参加した。場所は長崎市公会堂。1994年のことだった。

実際の彼の声は、それまで僕が抱いていたイメージを大きく覆すものだった。レコードやTV、ライブにおいてさえ、彼の声は、パワフルではあるけれど、どちらかといえば細く甲高く、声量もそれほどあるようには思えなかった。

ところが、フェーダーを通して飛び込んで来た声は、恐ろしくず太く、出演者中最大の声量保持者(ダントツで)だった。

数えきれぬ実戦で鍛え上げた、まさにプロ中のプロのロックシンガーそのものの声だった。

その時は、たった一人でアコギ一本での登場だったが、出て来た瞬間に会場全体を引き込み、緩急自在に観客をコントロールするカリスマ性と、何とも言えない力の抜けた温かさが同居した清志郎ワールドに、しばし酔いしれたのだった。

その突き抜けた明るさとパワーは、普賢に苦しむ島原の人々にも、きっと元気を与えてくれたはずだ。

(この時の録音テープは、僕の宝だ。)

これからもっと素晴らしい音楽活動をすることは明白だったし、僕らもそれを期待し信じていた。一番信じていたのは清志郎さん自身だろうけど。

何故か、尊敬するアーティストは夭逝する。

ジミしかりジャニスしかりジョンしかりボンゾしかり・・・ 神に愛されすぎたからか・・・・

本当に悔しかっただろうし残念だったことでしょう。でも、あなたの作品と歌声は永遠に生き続けるだろうし、あなたのことを一生忘れないたくさんのファンがいることが、あなたの真の価値だと思います。僕もその一人です。

今、ふと気付いた。・・・・忌野清志郎・・・本名は勿論違う。(本名 栗原清志)

恐らくは彼自身が付けたに違いないその名前。最初聞いた時、その忌という文字から、なんと不吉な名前を付けるんだろうと思ったが、よくよく考えるとこういう意味じゃなかったんだろうか?

忌まわしい野(世の中)で、志(こころざし)清く生きる郎(男)・・・当時彼は18才・・・

・・・栴檀は双葉より芳し ・・・・その名の通りに生きた人だった。

心からご冥福をお祈りします。ありがとうございました、清志郎さん。。。。