Archive for 5月, 2009

 

縁(えにし)

5月 31, 2009 in blog

縁、えにしともえんとも読むが、今回は、えにしと読みたい。

ここんとこ、つくづく、そういう風に感じる事が続いたからだ。

img_0588.JPG例えば、昨日打ち上がったコンサート。主催者は、数日前のブログにも記した、作曲家、東 敬史さん。

彼は、10年程フランスに住んでいて、先月、突然帰崎して、唐突にコンサートを開催する事を決意、

人を当たるうちに、僕と巡り会った。

勿論、そこには伏線が有る。彼と僕とは同い年。彼が相談した友人が僕の友人だった。

まぁ、その程度のことは、この狭い町に住んでいれば茶飯事だ。

ところが、彼との縁はそんなもんではなかったのだ。

日を追う毎に、様々な事実が判明。内容は長くなるので記さないが、とにかく、彼以外の彼の家族と僕と僕の家族はずーっと前からimg_0608.JPGのお知り合いだった。

そして、極めつけが、打ち上げの席で判明した。

打ち上げ会場は『平野』(僕と同い年の友人が主人の、めっさ美味い和食の店。彼こそ、僕と東さんの仲人)だった。

そこには、スタッフとは関係無い、僕の友人、K女史の顔が・・・・なんで?

話を聞いて驚いた。

この『平野』の常連であるK女史。ある夜、ふらりと現れた敬史さんと意気投合。彼女の計らいで、演奏メンバーが決まり、会場が決まり、 ついに、コンサート開催にまで漕ぎ着けた。

この間、わずか一ヶ月。電光石火の早業だ。

img_0594.JPG要するに、今回のコンサートの仕掛人こそ、K女史、その人だったということだ。

そしてK女史、なんと、僕とは30年来の友人だったのだ。

つまり、お互いを良く知る人々がよってたかって作り上げてくれたこの仕事の中で、知り会ってなかったのは、僕と敬史さんだけだったという訳だ。

かっこ良く言えば、会うべくして出会った、僕と東さんだったのだと思う。

しかし、つくづく、縁てあるんだな〜、と思った出来事だった。

そんな人々が集ったイベントだったせいか、全く長崎で活動していないメンバーなのにも関わらず、三日間のコンサートは、中日に若干集客が減ったが、初日、楽日は満員御礼。

とてもアットホームな温かいコンサートになった。

img_0610.JPGサウンドも、ボーカルにバイオリン、コントラバス、ピアノという純アコースティック。

(ボーカルの小川麻子女史は、かつてダンサーとして日本一に輝き、シンガーとして、かのアポロシアター・アマチュアナイトで日本人初の6位入賞したとんでもない人。)

僕も、細心の注意を払ってPAした。ミュージシャンの皆さんにも喜んでもらえたようだ。
しかし、やっぱ、生は良いね〜。。。(飯島君、舛田君、本当にお疲れ様でした。。。。 )

しかし、東さんと話していると、本気でフランスやイタリアに行きたくなった。(いや、きっと行くさ!!)

東さん曰く、僕の前世は、500年前のイタリア人らしい。ほんまかいな?

・・・・・・・・・
若い頃には中々感じる事ができなかったが、僕らは、決して一人では生きてはゆけない、という事を改めて教えられた出来事だった。

まさに一期一会。。。。。

これ以外にも様々な縁(えにし)に恵まれた、幸せな五月でした。。。。

※KITONさん、本当にありがとうございました。。。

27年ぶり

5月 20, 2009 in blog

img_0567.JPG27年前テレビで見て以来、ずっと心のどこかにトゲのように刺さったまま忘れられなかったドラマがある。

その作品こそ『幕末青春グラフィティ坂本龍馬』だ。

名作の誉れ高かったはずなのに、再放送される事もなくDVD化されるでもなく、ファンの心の中にだけ存在し続けているのかと思っていた。

それを突如として見る事が出来た。僕のブログを見て下さった方からのカキコによって!!

ありがとうございます!! KITONさん!!

早速、PCの前で背筋を伸ばして拝見させて頂きました。。。。。

1時間45分。・・・いやー、速かった。こんなに短かったっけ?

僕の中では、トータル3時間ぐらいの大作のはずだったんだけど・・

しかし、印象的なシーンの記憶は鮮明で、殆どそのまま記憶していた。

img_0576.JPG若き武田鉄矢(当時、33才)の、情けなさ満点の新しい龍馬像は、圧倒的に新鮮で、夢を見つけられないで悶々としている姿は、当時の僕の悶々ぶりと完全にシンクロし、すっかりはまってしまった。

そして、なんといっても、故・夏目雅子さんの美しさと可憐さは空前絶後!! 僕にとって史上最高のお龍さんだ。

それに、外せないのが音楽。なんと全編ビートルズ!!(どんな魔法を使ったんだろう? 再発されない理由もこれだろう)

やっぱ、『Let it be』が流れて来た時には涙がこぼれた。

しかしみんな若い。吉田拓郎の髪もふさふさのロンゲだし、陣内孝則は、まるっきりの駆け出し俳優だし、島田紳介もやせすぎてて、しゃくれが今より3割増しや。

キャストがスゲェーのだ。今ではみんな大物になっちまってるミュージシャンに役者に芸人の大集合、何でもありの男祭りなのだ。

img0212.jpgimg0221.jpgとにかく青春の熱さに時代は関係ない、というのがテーマのような気がする。。。。。

しかも、この情報を頂いた日の前々日(つまり、一昨々日、つまり、17日。) 、僕はこんな本を買っていた。(PHOTO-1)
『龍馬の長崎』。まさに、天恵。。。。

これは、長崎の方が、長崎目線で龍馬を紹介した本だ。短いし読みやすいし、龍馬入門編としては最適だと思う。

僕としては殆ど既知の情報だったが、マニアとしては買わねばなるまい。作者が長崎の方だし。

で、ついでといっては何だが、龍馬にちなんで、いくつか龍馬本を紹介しよう 。

PHOTO-2。これは昭和60年に買った『歴史読本別冊 坂本龍馬の謎』という雑誌。

それまでの僕は、狂信的な『竜馬がゆく』のファンであり、その竜馬こそが本物の龍馬だと信じて疑わなかった。

しかし、僕に小説ではなく、史実の龍馬、真実の龍馬に目を向けさせるきっかけになった本がこれだ。

内容は盛りだくさんでどれも興味深い物ばかりなのであるが、白眉なのは、65才になっていたお龍さんのロングインタビューだ。

あの激動の幕末から明治なって既に40年あまり。 もはや老齢であるはずの、しかも他人の妻になっている女性の口から出て来たのは、まるで昨日の出来事であるかのような生き生きとした龍馬との日々。

あー、お龍さん、本当に龍馬を愛していたんだな〜 。。。。なんか嬉しくなってくる。

img023.jpg次は、松浦玲 著『検証・龍馬伝説』2002年発刊。

これは、そのタイトル通り、徹頭徹尾創作を排し史実のみを丹念に追った、龍馬の事実関係を知るには最高の書。

これは、正直、司馬・龍馬にどっぷりの人から見れば、えーっ、ちょっと待ってくれよ、とでも言いそうな場面が結構出てくる。 でも、作者の冷徹な目は、一切の思い込みや甘えを許さない。

その分、信頼できる。。。。何だか、哀しくなるけどね。龍馬が可哀想で。。。

それでも、龍馬の魅力には一ミリの後退もない。どころか、スーパーマンではない生身の龍馬像に近づいて、さらに好きになっちまったのだった。(モーホじゃねーよ。)

以上、僕の秘蔵本のごく一部でした。

・・・・・・・・

日頃僕は、このブログをどんな人が読んでいるか等はほとんど気にしない。せいぜい、ごく身近にいる、良く知った変態諸氏君等の反応を気にするぐらいだ。

ていうか、それ以外に誰も見ていないと思っていた。

しかし、そうではないんですな。。。。何か嬉しくも有るし、大人として責任ある文章にせねば・・・(できねぇだろうな・・・)

この度は、本当にKITONさんありがとうございました。

(いやはや、いよいよ来年の大河『龍馬伝』が楽しみになってきました。)

天使と悪魔

5月 17, 2009 in blog

top_logo.JPG今日は、久々に映画を観に行った。ユナイテッド・シネマに『天使と悪魔』を。。。。

これは、古代から未来永劫続く、人類普遍のテーマだろうね。

数年前、世界の話題をさらった大ヒット映画『ダ・ヴィンチ・コード』(作、ダン・ブラウン)の、続編だ。

監督は、もはや巨匠と行っても良い、ロン・ハワード。

彼は、僕らの世代で言えば、説明不要の不朽の名作『アメリカン・グラフィティ』の真面目な青年、ステイーブ役を覚えている人も多いだろう。どちらかと言えば、控えめな印象だった

彼が後に、これほどの大監督になる等と、誰が予想しただろう。

因にこの映画、プロデューサーにフランシス・フォード・コッポラ、監督、ジョージ・ルーカスという黄金コンビ。

さて、肝心の映画は、・・・・・結論から言えば面白かった。

中世の秘密結社秘話も、エンディングまで息つく間もないジェットコースターのような展開も、美しく壮麗なバチカンも(あらためて、中世の大芸術家達の仕事に感嘆せざる得ない。まさに天使の仕事と呼ぶしかないだろう)、どんでん返しに次ぐどんでん返しも、勿論、スピード感抜群のカメラワークも、鮮やかなCGも。。

一級のエンターテイメントに間違いない。(詳細は語らないよ。ネタばれだからね)

個人的には、バチカンカトリック上層部が余りに美しすぎるような気が・・・(それだけ気を使ったのかな、ロン君)・・・・それと、音楽が弱い気がした。

しかし、作者のダン・ブラウンは、現代の科学至上主義がもたらした様々な不幸を嘆き、かつて中世に、それを見抜いたのかもしれない当時の識者達が犯した過ち(科学者弾圧)にも、一定の理解を示したかったのかもしれない。

それほど現実世界には、凄まじい天使と悪魔の争いが続いている。しかも、悪魔の方が分がよく見える。

いつまでたっても、それこそこんなに科学技術は進歩していても、戦争は繰り返され、貧困も、病気も、一向に解決される気配はなし。

もし、軍需産業のために戦争は続き、製薬会社のために病気は完治せず、独裁者のために貧困は無くならない。
としたら・・・・

まさに世界は欲望という名の悪魔に征服された観さえ有る。

僕自身、このテーマ(心の中の天使と悪魔)にとても興味が有り、二つ舞台を創った。
(言うのもおこがましいレベルだけどね・・)

一つは、島原の乱を扱った『四郎外伝〜パライソはどこに〜』

もう一つは、ダンスマスターズの公演のために書いた『ふりこ』という物語。
(人間は善と悪の間で、未来永劫揺れ続けるという物語)

これ、実は今年秋に再演します。

。。。。。。

ところで、この物語のメタファーの一つ『半物質エネルギー』これがいかほどの物かは、丸っきり理系の脳みそが足りてない僕には知る由もない。

現代科学の粋を集めた新エネルギーの開発は、まさにエネルギー枯渇問題に喘ぐ人類の救世主なのかもしれない。

しかし、僕らは知っている。

かつて人類は、神のごとき崇高な理念をもって核を生み出し、そして悪魔の邪心で、それを使ったことを。

それこそが、まさに昨日のTVニュースで見た現実なのだ。

恐らく、ダン・ブラウン=ロン・ハワードも、この物語の下敷きに、この惨劇をヒントにしたことは想像に難く無い。

これからも人間は、神に近づくような凄まじい技術を開発するだろう。

僕らは、それを使う人間が悪魔にならぬ事を神に祈るより手だてはないのか・・・・

人類に与えられた命題なのだろう。。。。

写真発見

5月 16, 2009 in blog

img_0559.JPG今日夕方、何気にTVを付けると、こんなニュースが。。。

アメリカで、長崎の古い写真が見つかったと言う。

1945年8月10日長崎の上空写真。

その、幅30cm近い巨大なフィルムに納められた写真の精度は、橋の上の人影すら映し出す。

何なんだろう、この冷徹さは・・・

8月10日とは、言うまでもなく長崎原爆投下の翌日だ。

同時に、そのわずか二日前の1945年8月7日の上空写真も並べられる。

みっしりと建て込んだ住宅や学校、病院、黒々とした木々、生気にあふれた風景が広がる・・・・

10日の写真へ移る。。。。まさに言葉を失う。。。。。

一切が消滅している。 何もかもがだ。。。

建物や木々の陰影が色濃かった街が、のっぺりとした灰色一色になっている。わずかに、大きな建物の痕跡が残っているだけだ。

勿論、僕ら長崎市民は、子供の頃から骨の髄まで原爆の記憶は叩き込まれている。

特に僕は、原爆中心地近くにあった山里小出身だ。

そんな僕でも、思わず戦慄し背筋が凍った。そして、少し目頭が熱くなった。

・・まさにその瞬間、あの灰色の死の世界に、僕の父も母も祖母も、妻の母も父も、その両親も、いたのだ。

ハンバーグ

5月 14, 2009 in blog

今日、久々に髪を切った。

いつも行くS美容室ではなく、時々行くB美容室だ。別に他意はなく何となくだ。

ここも、S美容室同様、家族全員お世話になっている。

場所は、最近出来た巨大商業施設の対面にある打ちっぱなしのコンクリートとガラスで出来たおしゃれなビルの二階だ。中身もめっさシャレてる。(最近、フリハイがPV撮りに来たらしい。。。しかし、売れんの〜フリハイ。)

髪を切ってもらったり染めたりしているうちに、いい具合に腹が減って来た。

img_0549.JPG

で、昼飯の話になり、この美容室の(ダパンプのイッサにチョイ似のイケメン)オーナーT君に、小ヶ倉にある『中村屋』というハンバーグレストランを教えてもらった。

行ってみた。

それがこれだ〜。。。。

何となく、ほか弁ポイ看板と外装なのだが、入ると、軽くイメージを覆される。

郊外型レストランを、もうチョイ高級にした感じ。。。。。

味は、正に王道。これぞ正調ハンバーグ!! という感じでした。

ごちそうさん!!

サンキュー、トシユキ君!!

近況

5月 13, 2009 in blog

かなり放置してました。主な理由は、暇な時間はWEBのリフォームに費やしているから。

別に大した事をやっているわけではないが、何せPCオンチなもんで、写真の簡単な合成をアップするのも一苦労。

でも、やっぱ自力でヤルッつうのは良いね。何か楽しい。

それに、近いうちに弊社レーベルを発足予定なのでその練習にもなる。

レーベルに関心のある人、気軽に連絡下さい。WEBは近日中に完成予定。

そんな昨日。

img020.jpg今月末、PAを担当する大浦の旧香港上海銀行で行う三日連続ライブの打ち合わせをした。(PHOTOはポスター)

クライアントはパリ在住の長崎人、東 敬史さん。

シャンソンと舞踊の融合したステージになるらしい。

ミュージシャンは、東京、熊本、大村から長崎にやってくる。

この東さん、何と、僕と同級生。もっとも、学校は一つも重なってないので面識は無し。

しかしそこは狭い長崎。同級生をたどれば必ず友人に当たる。

そんな訳で、他社さんを押しのけて弊社に発注が決まった訳だ。(勿論、それだけではないさ、きっと。。)

打ち合わせを始めると仕事の話は瞬時に終わり、どんどん脱線傾向。(これ、いつもの事ね。)

さすがコスモポリタン東さん。話し終わる頃には、すっかり気分はエジプトとエーゲ海に飛んでいた。

このライブ『オペラは、あなたと』は、5月28日(木)〜30日(土)の三日間。夜7時開演で、料金はワンドリンク付き3000円です。ご来場お待ちしております。

そうそう、マニア情報を一つ。このライブ、全て、サウンドをZOOM H4n41hp8p-gsrl_sl500_aa280_.jpgで、映像をハンディカムで収録する。

画期的な進化だね。この手のひらサイズのH4nで、連続12時間ものデジタル録音ができる。しかも、ステレオマイク付きで、しかも、4チャン4トラックで!!! その上ミックス機能付き!! なんちゅうこっちゃ!!

これ一台で、非常にハイクォリティなライブ録音が完結するのだ。ブラボー!!!

。。。。。。

その夜、家に帰ると、友人のカーちゃんからお土産が届いていた。

小さなカステラが三種類。

1. 松翁軒 2. 岩永梅寿軒 3. ボン・パティ

例のカステラ選手権を待ちきれなくなったカステラ女・カーちゃん(一斤食べるという)が、前哨戦と言うか、前菜と言うか、持ってきてくれたわけだ。ありがとうカーちゃん!! 必ずやるよ!! カステラ選手権。

というわけで結論。これはあくまでも僕個人の意見だという事をお断りしておきます。

第一位・・・・松翁軒   第二位・・・・岩永梅寿軒   第三位・・・ボン・パティ

このような結果と相成りました。

正直言うと、一位はダントツ。三位もダントツ。(ここはクルスが有名だし美味い)

かなりの違いがあったというわけです。

いよいよ楽しみですな。長崎ビッグ2との対決が・・・・

清志郎さん逝く

5月 04, 2009 in blog

et-080211-1-ns.jpg世間はゴールデンウィークの真っ最中(僕は関係ないが)。

5月2日、ロックシンガー・忌野清志郎さんが亡くなった。以前から癌と戦っていることは周知だったので、ついに来たかとは思ったが、やはりショックだった。

彼こそ、日本には数少ない本物のロックシンガーの一人だった。歌声がロックだった(誰にも似ていない)。生き様がロックだった(何にも縛られない)。

ロックって何? と問われれば、それは、ブレないこと。彼は、その始めから最後までブレない男だった。

そのハードな内面を柔らかい笑顔で包んだ希有なアーティストだった。

僕が彼を初めて知ったのは、ちょうど東京で暮らしていた頃。
当時彼が在籍したバンド、RCサクセションの不滅の名曲『雨上がりの夜空に』 が、爆発的に売れていた。

サウンドとド派手なメイクは、まるっきりストーンズ(The Rolling Stones)だったので感心しなかったが、とにかく、その妙に耳に引っかかる甲高い声が印象的だったし、比喩に満ちたロックな歌詞にも影響された。実はストーンズパクリも、本当はかなり悔しかったのを覚えている。(その吹っ切れ感が)

だから、彼らのライブも3回程観に行った。非常にパワフルでエネルギッシュな上、かなりきつい批判めいたことも発言しているのに、何故か温かいという不思議なキャラクターに引き込まれた。

・・・・それから十数年経って、僕は彼の声をこの手で触れるチャンスを得る。

『普賢岳チャリティーコンサート』だ。

永らく休火山だった長崎県島原半島の普賢岳が1990年突如活動を再開し、1991年火砕流と言う当時はあまり認識されていなかった高温ガスによる壊滅的な被害を島原地方に与えた。

これを援助しようと、泉谷しげるさんを先頭に、数多くのアーティスト(吉田拓郎、井上陽水、さだまさし、小田和正、山下久美子、大友康平、浜田省吾、横道坊主、他)が集結し、チャリティーコンサートが行われた。

清志郎さんは、たくさんの超大物アーティストの一人として、僕は、FM長崎の公開録音の録音エンジニアとして参加した。場所は長崎市公会堂。1994年のことだった。

実際の彼の声は、それまで僕が抱いていたイメージを大きく覆すものだった。レコードやTV、ライブにおいてさえ、彼の声は、パワフルではあるけれど、どちらかといえば細く甲高く、声量もそれほどあるようには思えなかった。

ところが、フェーダーを通して飛び込んで来た声は、恐ろしくず太く、出演者中最大の声量保持者(ダントツで)だった。

数えきれぬ実戦で鍛え上げた、まさにプロ中のプロのロックシンガーそのものの声だった。

その時は、たった一人でアコギ一本での登場だったが、出て来た瞬間に会場全体を引き込み、緩急自在に観客をコントロールするカリスマ性と、何とも言えない力の抜けた温かさが同居した清志郎ワールドに、しばし酔いしれたのだった。

その突き抜けた明るさとパワーは、普賢に苦しむ島原の人々にも、きっと元気を与えてくれたはずだ。

(この時の録音テープは、僕の宝だ。)

これからもっと素晴らしい音楽活動をすることは明白だったし、僕らもそれを期待し信じていた。一番信じていたのは清志郎さん自身だろうけど。

何故か、尊敬するアーティストは夭逝する。

ジミしかりジャニスしかりジョンしかりボンゾしかり・・・ 神に愛されすぎたからか・・・・

本当に悔しかっただろうし残念だったことでしょう。でも、あなたの作品と歌声は永遠に生き続けるだろうし、あなたのことを一生忘れないたくさんのファンがいることが、あなたの真の価値だと思います。僕もその一人です。

今、ふと気付いた。・・・・忌野清志郎・・・本名は勿論違う。(本名 栗原清志)

恐らくは彼自身が付けたに違いないその名前。最初聞いた時、その忌という文字から、なんと不吉な名前を付けるんだろうと思ったが、よくよく考えるとこういう意味じゃなかったんだろうか?

忌まわしい野(世の中)で、志(こころざし)清く生きる郎(男)・・・当時彼は18才・・・

・・・栴檀は双葉より芳し ・・・・その名の通りに生きた人だった。

心からご冥福をお祈りします。ありがとうございました、清志郎さん。。。。