Archive for 3月, 2008

 

超コンパクト・モバイル・レコーディング

3月 13, 2008 in blog

cimg0994.JPGここんとこ、黄砂が気になりますな。昔、東京にいた頃、春に黄砂がなくて、随分長崎を懐かしく想ったもんだが、最近は、そんな悠長な事は言ってられなくなってきた。硫化なんとか・・・忘れた、とかいう化学物質が付着して、いろんな害があるらしい。私めは、原チャリ通勤なので、ちょい気になります。中国は、今、まさに40年前の日本のごとき発展中?(そうかな?)であります。

で、今日は、明後日あるレコーディングの準備。・・・内容は、ピアノソロ作品のレコーディング。
なんと、ピアニストの方の自宅で録る。いわゆる、モバイル・レコーディング(昔はモービルといっていたなー。)だ。自宅なので、生活ノイズは、交通ノイズは、と、いろんな心配はあるが、ご本人の、どうしても自分のピアノで、(自宅で)リラックスして録りたい、というお気持ちを尊重して、細かい事は気にせず録ろう、という事になった。

普通、 モバイル・レコーディングというと、マイクやら、卓やら、モニタースピーカーやらで、結構大変な量の機材を持ち込む。しかし、今回は、ピアノだけ、しかも、自宅、ということもあり、大型機材は難しいし、マイクも本数が使えない。(ノイズが多い環境なので、最小限度のマイクで録るため。)

なので、今回は、思いっきりコンパクトにしてみようと考えた。

つまり、マイク二本+スタンド二本、マイクプリアンプ、DATデッキ、小型モニタースピーカー 、ケーブルその他。

これだけだ。普通車に積めて、一人でもたった二回で運べる。しかも、クォリティーは全く妥協無し。
なんと素晴らしー、完璧じゃー!!! (自画自賛)
(もちろん我が社で用意できる範囲での妥協無しではあるが。)

まずマイクは、AKG C-414ULS SS。信頼できる、ということと、指向性のタイトさがチョイスの理由だ。マイクプリアンプは、今回特別にヒビノさんから手配してもらった、プリズム、というメーカーのプリアンプ。こいつはすんげぇーぞー。こういうものを聴くと、高くても欲しくなるんだよなー、困ったもんだ。そして、そのまま、ポータブルのSONYのD-10 DATで録る。これは久々の登場だ。よかったー、メンテしておいて。
かつて、外録は勿論の事、ライブでも常に携行していた機材だが、ここんとこすっかり出番がなくなっていた。HD(ハードディスク)の音に慣れた耳で聞くと、DATの音はなんとなく優しく聞こえるのは気のせいだろうか?
買い置きしていたDATのテープも役に立つ。

※我が社には、モバイル用のハードディスクレコーダーもあるのだが、いかんせん、こいつはノイズを出す。
(ハードディスクをこする音?)なので、同じ部屋で作業する今回は没。
そこで、ほぼ無音のDATの登場と相成ったわけだ。しかも、コンパクトー!!!

DATから、直接、YAMAHAのモニターMSP-3で鳴らす。MSP-3はパワードだし、-10dbインもあるので便利だ。
それに、同じYAMAHAのNS-10M Studioともサウンドが似ているので、仕事がやりやすい。
何といっても、小さい。(H=236mm W=144mm D=155mm 4.4kg)
細かいところは、SONYのヘッドホンCD900STで確かめる。

完璧じゃー!!! さーて、どんな音で録れるのか、楽しみー。

龍馬会というオヤジの遊び

3月 09, 2008 in blog

あ〜、Qちゃんが負けた。恐らく、日本中が彼女を応援した。それが重過ぎたのかもしれない。
突然の体調不良が襲ったのだろう。それでもQちゃんは走り続ける。そして走りきった。
走りきる事こそがメッセージとばかりに。・・終了後の記者会見の明るい笑顔が、さらに痛々しかった。
君の細い肩に、日本中の期待と同時に、様々なしがらみもどっかりと乗っかっていたに違いない。
もういいよQちゃん。お疲れ様。君は充分に日本中に元気をくれました。

きっと君の本音は、ただ、自分が思い描く理想の走りをしたかっただけなのだろうと思う。
その結果として、勝ったもののみが知る幸福感を、もう一度味わいたかったのだろう。
・・・真っ白い灰になりたいんだろうね。

しかし、スポーツとはまさに厳正だ。その時強いもののみが勝つ。

※その強さとは何だろう? 今回、名前のある選手は全て脱落した。勝ったのは、まさに無名の無欲の無プレッシャーの初マラソンの選手だったのが象徴的だった。名選手達は、お互いを意識し過ぎ、自分を意識し過ぎて敗れた。・・・
芸術の到達点は、無我である。・・・・スポーツも最後は同じなのだろう・・・・

今はゆっくり休んで、いつの日か素晴らしい指導者になって下さい。

080308_141101.JPG

昨日、8日の土曜は、久々に休んだ。毎年、二月の終わり頃から急に忙しくなるので、貴重な休みだ。
その為か、日頃の行い

が良い為か、朝から素晴らしい快晴に恵まれた。
特にこの日の天気は重要だった。というのも、この日は、3年ぶりの“龍馬会”だった。

※龍馬会というのは、僕の舞台作品“長崎時空漂流記”を観た事がきっかけとなり、すっかり龍馬ファンになってしまったバンド仲間が発案した、長崎市内の、龍馬ゆかりの地を巡り、最後は料亭で〆る、という、オヤジならではのマニアック且つ、おバカな遊びだ。 現在、会員数4名。募集無し。

今回の幹事は僕だった。はりきってプログラムを作った。
080308_141201.JPG 集合は、午後〇時半。場所は、お諏訪さんの本殿前。

すでに、ここまでの階段でバテる。太ももがへろへろだ。何たる運動不足。

一応参拝して、最初の目的地、“月見茶屋”へ寄る。
名代のうどんとちらしを注文。このお店は、現存する長崎最古のうどん屋だ。創業は、約120年前。
因に、僕が生まれて最初に食べたうどんだ。
やがてうどんが来た。食べて驚いた。・・・・味が変わっている。
昔の月見茶屋のうどんは、とっても甘かった。そこが好き嫌いを分けていたのだが、僕は、好きだった。
残念だな〜。やっぱり、お客さんから言われたのかな〜、甘すぎるって。ほんとに甘かったからな〜。
でも、その後頼んだ、おはぎときな粉餅は、昔そのままでおいしかった。
ここは腹八分目で、次に行く。

080308_183201.JPG次は、長崎歴史博物館だ。歴史フリークの僕にしては遅過ぎる初見参だ。
結構面白かった。 改めて知った事はあまりなかったが、当時の本物の史料を見れた事は感激だった。
特に、その達筆ぶりは驚嘆だ。

※しかし、あのお芝居はすごかったな〜。まさか、あんなにベタなコントをやるとは・・・・
意外過ぎておもろかった。奉行役の役者さんは、若い人みたいだったが、いい声してたな〜。

敷地内にある銀嶺でお茶する。※お約束の龍馬のコーヒーを頂く。・・苦かった。

徒歩で、長崎市図書館へ。土曜という事も有りごった返していた。
ざっと見て回った。ここは面白そうだ、会社からも物凄く近いので、近いうちにゆっくり来ようと決意。

電車で、グラバー園へ。階段はそうそうに諦めて、エスカレーターと動く歩道に頼り080308_190701.JPG切る。
頂上でくつろぐ。あまりの天気の良さに、4人のオヤジはしゃぐ。かなり気持ち悪い。
ベンチで日向ぼっこしながら談笑。内容はもっぱら下ネタ。
下って、グラバー邸を見学。ここでもお約束の龍馬と記念撮影。
帰り道、土産物屋で、家族全員分の龍馬の似顔絵つきのおちょこを買う。

そのまま徒歩で、県立美術館へ。
思いの外グラバー園に長居した為、余り時間がなかったので、全員、読書。
岩○氏と小○氏が、携帯で、品のない音を出して、スタッフの若いちょっと見美人の余りグラマーではないお姉ちゃんに叱られる。かっこわるー。やがて時間になり、タクシーで本日のメインイベント地へ向かう。

本日の〆。食事をするために予約したお店は、榎津通りにある、日本料理店“まつ山”だ。
ここは、いわゆる料亭ではないが、本格的で非常にハイレベルな会席料理を食べさせてくれる名店だ。
しかも、それほど高くない。僕は今回、名前ではなく、内容で勝負に出たのだ。

タクシーでちょっと手前で降りた。 何の事はない通りを歩いていくと、突然、小さいが品のあるいかにもな感じの080308_202601.JPG玄関が出現する。きちんと打ち水を打った敷石を歩いてドアを開ける。
僕らは、奥の個室へ案内された。・・・とても清潔で居心地の良さそうな和室だ。
ただ一つ。何故、照明が蛍光灯なのだろう。料亭花月でもそうだったが、料理を美しく見せてくれるのは、やはり白熱灯だと思うのだがどうだろう?

しかし、やがて運ばれてきた料理には仰天した。運ばれるたびに、みっともないが、みんな感嘆の声を上げた。そして、一斉にカメラで撮影。その素材の新鮮さ、品の良いあじつけ、美しい盛りつけ、全てが文句なしに美味かった。
一つ一つが、ゆっくりとしたタイミングで出てくる。(写真は、コースの半分程度だ。)
普段、掻き込むように食べる僕は、たちまちお腹一杯になり、最後のイクラご飯の大半を残してしまった。・・残念。
みんな大満足の食事だった。ごちそうさまでした。

あっという間に3時間経ちお開き。・・一応、この後のスケジュールも用意していたが、全員お疲れモードで帰宅。
当然だな、9時間も遊んでたんだもな〜50近いオヤジが。疲れるはずだ。

特に僕なんか、多分、一年分は歩いたな。しかし、ご飯食べながら、一度も龍馬の話はしなかった。これで龍馬会といえるのかはなはだ疑問ではあるが、まっ、この際、楽しかった、ということで由としよう。

人間、年をとれば取るほど、様々なストレスにさらされる。一年に一度ぐらい、仕事も何もかも忘れて、気の合う仲間同士でたわいもなく遊ぶ事も大事だな、と思えた一日だった。

また来年、開催する事を約束して解散。

僕の愛機シリーズ#14 YAMAHA SPX90II・900・1000

3月 06, 2008 in blog

ようやく春めいてきました。花粉症の方はお気の毒ですが、ほんとこの季節は気分も華やいできますな〜。
さて、今回のゲストは、いよいよ来たね。これも避けては通れない名機だす。
YAMAHAが誇るSPXシリーズだ。

前回、僕にとっての最初のデジタルリバーブをローランドのSRV2000といったが、よーく考えると嘘でした。
本当の最初は、YAMAHAのR100ですな。(本文にも書いていたのにね・・・・)

これは、前述していた通り、四つのプリセットを持つ、モノラルのデジタルリバーブだ。
そのサウンドを最初に聞いたのがいつだったのかは覚えていない。
はっきりしているのは、前回にあるように、バンド仲間のレコード製作の時だ。
その四つのプリセットは、確か、リバーブタイムが、徐々に長くなる程度の違いだったと思う。
しかし、それまでには無かったリアルなリバーブには随分感激したもんだ。
R100は、小手調べのようなもんだったと思う。というのも、その後、圧倒的な性能を持つデジタルリバーブ、REV-7が登場するだ。

僕は、ある方からお借りして、散々、REV-7を使わせてもらった。
当時併用していた、ローランドのSRV2000との比較になるが、僕の好みはローランドだった。
勿論、REV-7も素晴らしいリバーブだった。あくまでも僕の好みの話だ。
REV-7の最大の特徴は、デジタルを最大限に生かした、マルチエフェクターとしての性能だろう。

そして、YAMAHAは画期的な製品を発表する。まさに戦略商品と言っても良いだろう。
それがSPX90だ。

cimg0991.JPGマルチエフェクターとしての性能を保持したまま、価格は、REV-7の約3分の1、9万円を切っていた。
これには、誰もが食いついた。ここから、デジタル・マルチエフェクターは一気に市民権を得た。
僕の周りにも、購入した人が随分いたと思う。

cimg0993.JPG※この僅かワンユー(ラックのサイズ。高さ4.5cm)の機材の中に、リバーブ系数十種、ディレイ系数十種、モジュレーション系 数種を内蔵し、ユーザープログラムさえストアできる、というスーパーマシンだった。

cimg0990.JPG僕は、その二世代機、SPX90IIを購入した。
90IIは、90に比べると、数値的なものが飛躍的に伸びていた。ディレイタイムとかリバーブタイムとか、・・
やがて、SPXシリーズは、900・1000に進化する。性能は、さらに飛躍的に伸びた。順次購入した。
今度は、サウンドそのものが完全に様変わりしていた。

僕にとってのSPXシリーズというのは、困った時のお助けマシン、といえる。
メインのボーカル・リバーブは、ソニー、ドラム・リバーブはローランド、というように、僕の定番は、ほぼ決まっていた。そこにプラスしてサブのリバーブ&エフェクトとしてSPXを使った。
SPXならではのプリセットとしてはピッチチェンジだろう。特にSPX1000のステレオピッチは精度が高く、カラオケのキーチェンジにもよく使用した。
それと、PAの際、ステレオ・エコーというステレオ・ディレイを今に至るまで使っている。これは完全独立のステレオ・ディレイなので、二本の独立ディレイとして使える。必ず、ボーカル用に、ショートとロングの二本のディレイを用意するのが僕のやり方なので、その際に丁度よいのだ。

ここら辺で、リバーブシリーズは終了だ。他にも数種あるが、愛機と言えばこのあたりまでだ。
しかし、このリバーブシリーズには、本当にお世話になった。僕のエンジニア人生の大半はこれらと共にあった。
逆に言えば、これらの機材の登場が、僕をエンジニアへと導いた。
大げさに言うならば、業界の誰かが、音楽産業を一握りのプロフェッショナルの手から、一人ひとり個人の手へ、というビジョンを描いたのかもしれない。現在そのビジョンは100%実現したといえる。

それでも、この仕事を生業にする価値はあると信じるし、そういうものにしか成しえない仕事があるのだ。
だから僕は、これからも精進しなくてはいけないのです。

3月3日と言えば・・・

3月 04, 2008 in blog

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◇◇◇3月3日と言えば、・・・そりゃあ、桃の節句、ひな祭りだ。普通はね。
僕にとって3月3日は、それ以外にも、ちょっとした色彩を帯びる日だ。
それは、2002年に、ブリックホールで行われた、第四回市民参加舞台※『四郎外伝〜それぞれのパライソ〜』という舞台が上演された日だからだ。
・・・・もう、あれから6年も経つんやなぁ〜。速いもんだ。

僕はこの舞台の、脚本を書き、音楽を書き、演出をした。
第一回の『長崎時空漂流記』に続いて、二回目の 作・演出作品だ。
これも、一般公募で作品が募集され、プロの脚本家も交えた審査員によって最優秀作品が選ばれた。
幸運な事に、この時も、最優秀賞を頂いた。

cd_10001.JPG正直言ってこの時は意外だった。まさか、また頂けるとは思っていなかった。これ本音。

しかし、この作品には、なんというか、忸怩たる思いがある。
前の作品は、基本的に何も複雑に考えなかった。僕自身の夢を形にしただけだ。
現代の若者が、江戸時代の長崎にタイムスリップし、坂本龍馬に逢う、これだけだ。
シンプルであるがゆえに迷いも無かった。

四郎外伝は違う。考えた。二作目と言う事もあり、色々考えた。ストーリーも資料を調べまくって、一から構築した。考えて考えて、その揚げ句、まとめられなくなった。・・・・・欲張ったかな?

ストーリーには自信があった。 でも、それと、舞台上で、どう役者にしゃべらせて、どうまとめるかと言うと、まったく別次元だ。結局、何となく無難な線に落ち着かせてしまった。

・・・まっ、今更仕方ない。これが俺の実力だ。

しかし、役者諸君は素晴らしかった。時空も素晴らしかったけど、今回も劣らずだ。

この舞台に功績があるとすればこれだろうな。普通の人が舞台で輝ける、という事実。

当然、連続出演の人もいる。新人もいる。ずーっと劇団で頑張ってきた人もいれば、まったくの初心者もいる。
しかし、演劇素人のくせに偉そうに言わせてもらえば、役者の魅力、に限れば、キャリアの差というものは、ほとんどハンディにはならないようだ。※だからこそ、市民参加舞台は成立するのだ。(芝居を柱とする事で。)

それにこの舞台には、僕の本領である、ロックバンドを舞台に登場させた。大学生と高校生のメンバーによる編成、という思い切った抜擢だったが 、上手くいったと思う。

ダンサーも、前回のジャズダンスと共に、イベントで知りあった、活きのいい若者たちのヒップホップチームにも出演してもらった。これもうまくはまっていたと思う。

舞台セットも、たいした予算でないにも関わらず、巨大で美しいセットを大道具の山崎氏は組んでくれた。
本当に皆さんありがとう。

でも、どれだけ仕込みが上手くいっても、やはり、作品の肝は、ホン、なのだ。

この舞台は、もっともっと面白くなれる“素質”があっただけに・・・・悔しかー。

事故も続発した。
まず最初に、この企画を提出した二日後に、僕が入院した。二ヶ月間もだ。受賞は、入院先の病院の電話で聞いた。
確か、キャスト・オーディション日は、退院して二週間も経っていなかったと思う。

次に、キャストの一人が、本番前日になって高熱でダウン。最後のゲネも、オールメンバーで出来なかった。すぐさま病院へ走らせ、本番当日は這ってでも来い、と伝える。当日の朝、けろっとして来たのには救われた。

ところがその当日、なんと、最重要スタッフの一人が事故で入院する、という事態に見舞われたのだ。
知らせが入ったのが、当日の午前5時。飛び起きた。考える。考えても仕方ない。
会場へ行く。幾つかの事柄は、頭の中に決定済み。スタッフを集めて作戦会議。
午前の予定を全て変更。代役を立て、超特急でテクリハ。なんとか事態を収束させて開場に至った。

本番が始まると、ワイヤレスマイクから、原因不明のノイズ。うちの音響スタッフが寄ってたかって解明しようとしたが、最後まで分からなかった。(次の舞台で使用した時は出なかったらしい。)

しかし、皆の頑張りで、なんとか無事に二回の公演を乗り切った。・・・・・本当にほっとした。

僕は思った。『あ〜、四郎、何でだー。お祓いだってしたじゃん。』
ふっと思い出した。お祓いをカトリックの神父様にやってもらったのがいけなかったのかって。

本番が終わった翌日、僕は、四郎達が籠城し亡くなった原城趾へ行った。
僕は、普段まったく霊感とか感じない人だ。でも、城の中へ入った瞬間だった。
何か、ぐっと重いものが肩へ乗った。確かな感触だった。その時僕は思った。

『そうか、やる前に来なきゃいけなかったんだ。』

どんなに忙しくても行かなきゃだめだったと後悔した。昔の人がやっている事には、一理ある。

cd_10002.JPGしかし、舞台には一種の魔力がある。どれだけ大変な目にあっても、舞台を創ることを嫌だとは思わない。

特にこの“長崎市民参加舞台”は、僕にとって、これまでの人生で学んだ事、感じた事、すべてをぶつけるに相応しいどでかい機会だった。・・・・・人生最大のボーナスといってもいいかもしれんな〜。

二作品合わせて、60もの作品を作曲し、アレンジし、レコーディングできたし、それぞれ3時間にも及ぶ芝居の台本を書き、演出する機会を与えて頂いた。

何より、総勢300名を越えるみんなと共に、作品を作り上げる事が出来た。
延べ7000名を越えるお客様に、観て頂けた。

こんな機会を与えて頂いたことへの感謝は、し尽くせない想いがある。
なかなか無い事やからね、こんなこと。・・・・本当にありがとうございました。

みんな元気かな〜。子供たちなんか大きくなったやろーなー。

そう言えば、先日、この舞台のキャスト、“風太郎”を務めてくれた、新○から電話を貰った。
彼は現在大分県にいる。内容はたわいもない事だったが ムッチャ楽しかった。彼ももう、30才になるという。
早く、嫁さん貰って、長崎に遊びに来いよと冷やかした。
結婚といえば、子供たちの人気者だった“ため八”=久○は、福岡で先生になって昨年結婚した。
風太郎の相手役だった“小鈴”=川○は、北海道へ行って結婚したらしい。らしいというのが彼女らしい。
それに、ロックバンドのギターを務めてくれた前○は、某大物政治家(前○○大臣)の秘書になった。
毎年、名物のトラフグ(現地では“ふく”というらしい。)を、食べに来てと誘われているのだが、なかなか行けない。

今年こそは、“ふく”を、堪能したいもんです。