Archive for 2月, 2008

 

僕の愛機シリーズ#13 ROLAND DEP-5&RSP-550

2月 26, 2008 in blog

cimg0987.JPG今回もデジタルリバーブだ。我が社名の由来となった機材の一つなので避けては通れない。
このローランドのリバーブは、DEP-5が、86年頃、RSP-550が、92年頃に僕の元へ来た。

僕が、エンジニアになった頃、最も欲しかったエフェクターがデジタルリバーブだ。

それは、レコードを聴くと、必ずと言っていいほどボーカルにはスカーッとリバーブが掛かっていたし、その頃流行り始めた必殺のエフェクトが、ゲートリバーブだったからだ。

ゲートリバーブとは、主にドラムに掛けるエフェクトだ。
やり方は、例えば、スネアにリバーブを掛け、そのリバーブ音にゲートを掛け、良きところで余韻をズバッと切る。
ざっと言えば、こんなものだが、その効果たるや絶大で、たとえ貧弱なドラムでも、たちどころに迫力満点のサウンドに変身する。瞬く間にレコーディング業界を席巻した。とにかく流行りまくったサウンドなのだ。

※ゲートリバーブの発明者は諸説あるが、ピーターガブリエルIIIをレコーディングした際に使われたのが最初、といわれている。エンジニアは、後にスティングやホール&オーツ等で有名になる、ヒュー・パジャムだ。

※海外のレコード業界ではそうだが、日本、ましてや、西の果ての長崎などでは、まだ誰も知らなかった。
第一、まともなリバーブさえ、ほとんどない時代だ。

※では何故、僕は知っていたか? レコードから大体の想像はしていたが、決定打は、やはり、サウンド&レコーディングマガジンだろう。
僕は、まさにこの雑誌の申し子と言っても良い。たまたま本屋で見かけたこの雑誌の創刊号を買ったことが、宅録システム購入に繋がって、やがてはプロのエンジニアになるのだ。因に、創刊号から現在まで買い続けている。

まだエンジニアになる前、バンド仲間の一人がレコードを出すことになった。
そして、僕にエンジニアをやってくれと言う。勿論快諾した。
(この時期、こんなことが連続する。自然にレコーディングもPAも手がけるようになっていった。)
録音曲を聞いた。三曲だった。一曲はバラードで、二曲はミディアムテンポのR&Rだった。
僕は内心、『これはどうしても、ゲートリバーブがいるな。』と思った。

しかし、当時長崎にあったリバーブは、ヤマハのR100 (これは、4つのプリセットしかなく、しかもモノラルだった。)と、ベスタファイヤーのスプリングリバーブだけだった。

そこで僕は、録音用の機材を提供してくれるというPA屋さんへお願いして、ノイズゲートを借りた。

ミキサーのAUX-OUTからR100と、ベスタファイヤーのスプリングリバーブに繋ぎ、そのアウトをノイズゲートへ通す。帰ってきたゲートリバーブを左右に振り分けてステレオとした。スネアとタムに掛けてみた。・・・・
『バウンッ、バウンッ、バウンッ』
想像していた通りの音が出て感動した。しかし、片方はスプリングリバーブだ。当然、音は違う。
やはり、ステレオリバーブが必要だな、と思った。

※R100からSDE2000へ繋ぎ、ダイレクト音とディレイ音をそれぞれ出力してパンを左右に振る疑似ステレオリバーブ、というウルトラCを思いつくのは、もう少し後の話だ。
僕はこの頃、何故かステレオ録音に非常にこだわっていて、宅録の4トラックでさえも、ドラムをステレオ録音するのに四苦八苦していた。今なら、モノラルも有りか、と考えるのだが・・・・

やり方は分かった。しかし、待つしかなかった。

そして、その二年後、ついに登場したのが、ローランドSRV2000だったのだ。

ボーカル等に掛ける、いわゆるエコーとしてのリバーブと、ドラム等にかける、ゲートリバーブ等のエフェクターとしてのリバーブ、更には、部屋の大きさや材質感をも表現できるルームシュミレーターとしてのリバーブ、これら全てを実現できる、待ちに待ったスーパーマシンだった。

※愛機としては、勿論、このSRV2000の方が相応しいのだが、
悲しいことに、当時の僕の経済力では無理だった。(30万円近くした。)

DEP-5、RSP-550は、このSRV2000の後継機だ。

DEP-5は、バンドブーム全盛の頃に手に入れた機材で、SRV2000譲りのゲートリバーブ及び、ルームリバーブとして、スネアやタム、時にはバスドラムにさえ使用していた。 ホールリバーブとしても独特の広がりがあって好きだった。
この頃、これらのリバーブマシンをライブやレコーディングで使いまくった。
バンドのメンバー、特にドラマーは喜んでくれたっけ。
僕は、エンジニアになる前はミュージシャンだった為、バンドの連中とコミニュケーションを取る事が容易だった事も、利点だったのだろう。

RSP-550は、SONY DSP-R7と、ほぼ同じ頃手に入れた。使い方は、ほぼ二種。
一つは、クラシック関係の録音をする際、足りないエコー感をデジタルリバーブで補う事があるのだが、その時、R7と共にダブルで使用することが多い。二つが補完しあって、芳純な響きになるのだ。
550は、R7やDEP-5と比べると、比較的ライトな雰囲気のするリバーブだ。

※未確認情報ではあるが、リバーブの心臓部、LSIを造れるのは、ソニーとヤマハしかないらしい。他のメーカーは、この二つのいずれからかLSIを買ってリバーブを造っているらしい。ローランドはソニー製のLSIを使用しているらしい。とすれば、僕は、まったくソニー製リバーブのファンといえる。

もう一つは、豊富に入っているモジュレーション系のエフェクトだ。
ローランドお得意のコーラスは勿論のこと、フランジャーやフェイズ系も使える音が多い。
中でも、レズリーシュミレーターは重宝した。歪みを調整できるだけでなく、ロー・ハイ二つのスピードをそれぞれに調整出来るところも、本物に近い。

最近では、ほぼ、出番のなくなった二機種ではあるが、流行れば廃り、廃れば流行る、のが世の中なので、きっといつかまた、リバーブ大活躍の日が来る、かも?

僕の愛機シリーズ#12 SONY MU-R201&DSP-R7

2月 24, 2008 in blog

cimg0986.JPG二月も終盤になって、二三日、寒さも和らいだかと思ったら、昨日からまた、真冬に逆戻りだ。
しかし、寒風の中にもほのかに春の匂いが感じられるようにも思う。

さて、本日の愛機は、SONY MU-R201&DSP-R7。デジタルリバーブだ。
個人的には、80年代エフェクターの最大の発明だと思っている。
リバーブは、ディレイ程単純ではない。

音楽が生まれる前から、人間はリバーブを知っていた。特にヨーロッパ人は。
それこそ原始の時代は岩の洞窟で、文明以降は、石の教会で、人々は深く芳純なリバーブを聞いてきた。
だから、音楽を録音する技術が生まれるとほぼ同時に、人工的にリバーブを作り出す装置も生み出された。

エコーチェンバーだ。コンクリートむき出しの部屋にスピーカーを置き、リバーブが必要な音源を再生し、マイクで拾って、元の音と混ぜれば、好きなだけリバーブを付加することが出来る、という装置だ。

やがてそれは、鉄板を使用した装置、プレートエコーへ引き継がれた。
勿論その理由は、経済的理由だ。リバーブだけの為に一部屋作ることは難しくなってきた訳だ。
それでもプレートエコーは、畳一畳分はあるし、一人ではとても持てない。だから、様々なチャレンジが成された。
中でも、スプリングを使ったリバーブは、小さい上に安価で、瞬く間に普及した。

しかし、本物のリバーブにはほど遠かった。小さくて、本物のサウンドを持つリバーブが、待ち望まれていた。

いわゆる一握りのハイエンドプロフェッショナル の世界には、比較的早く、デジタルリバーブは登場したようだ。
創ったのはソニー。・・・・いやー、日本は強いね。こういう分野は。
少なくとも、僕がエンジニア活動を始めた1983年にはあった。
だから、それがいつ僕らにも手の届くところに降りてくるのか、・・まさに一日千秋の思いで待っていた。

僕にとって、その第一号と対面したのは、1985年のこと だった。
ローランドのSRV2000だった。僕がお世話になっていた制作会社“パパズミュージック”が、購入したのだ。
ありがとうございます、聡さん。
着いたその日から、夢中になって使い倒したのは言うまでも無い。

しかし、よーく考えてみると、この出来事はとてつもなくでかい。
それまでエコー(リバーブ)といえば鉄板だった。(AKGのスプリングリバーブ等あったが、音楽用としては、やっぱり不満だった。)つまり、それはとてつもなく高価で、とても地方の業者が保有できるような代物ではなかった。
よって、エコー一つ取っても、本格的なレコーディングは、東京でしかできなかったのだ。
ところが、こんなデジタルリバーブのような、安価な上に高性能な機器が続々と登場してきたために、雨後の筍のように、全国にスタジオが誕生したのだ。丁度そこには、僕のように、ミュージシャンから転身したエンジニアもいたに違いない。

とにかく使ったな。時代は、まさにエコー時代と言っても良く、あらゆるパートに、様々なエコーテクニックを駆使してサウンドを造る時代だった。当然SRV2000一台では足りない。・・・どうしたか?

僕は出入りしている楽器屋に行って、最近、デジタルリバーブが売れたか聞いた。なんと一台売れたという。
発売されたばかりのヤマハのREV-7だという。僕は早速、買い主の名前と住所、電話番号を聞き出し、その人へ電話した。そして、あろうことか、その場でREV-7の貸し出しをお願いした。その人は、見ず知らずの男の傍若無人な突然の申し出を、顔も見ずに快諾してくれた。 なんといい人なんだろう。確か、新聞社の方だった。
翌日、借りに行った。その日から、なんと半年ほど借りっ放しだった。
情熱、と言えば聞こえがいいが、とにかくこの頃は、若さに任せてやりたい放題だったのも事実だ。
・・・ご迷惑かけました。そして、ありがとうございました。

でも、それほど、当時はリバーブを必要としていた。
やがて、世の中にはヤマハのSPX90等の比較的安いものが、続々と発表され、急速にデジタルリバーブは普及して行った。僕も個人的に、ローランドのDEP-5を購入した。

前置きが長くなった。

僕は、1989年、長崎市の大型商業施設の中にできたイベントホールの音響責任者に就任した。
そのホールは、ホール自体が、PA、照明、楽器等、全ての機材を常設するという、当時としては画期的なホールだった。
張り切りまくった僕は、正に夢のマシン達をリストアップして行った。
その中に、前々から評判の良かったMU-R201を盛り込んだのだ。
それが、201との初対面だった。

実際に使ってみると、評判通りの良さだった。いわゆるエコーとしては、この価格帯では、群を抜いていたと思う。
基本的にはマルチエフェクトの機能は備えているようだが、僕にとっては、純然たるリバーブ専用機だ。
自然というか、残響音が緻密というか、とにかく掛けると、どのリバーブより気持ち良かった。

スタジオでも使い倒した。個人的には、ボーカル等にプレート系、シンセにホール系をよく使った。
ルーム系もドラムによく使ったが、あるプログラムは、通すだけで格段に分厚くなるようなものも有り、スネア専門に使っていたものもある。

やがて、後継機R-7が発売されたので、速攻購入した。基本的には、同傾向のサウンドで安心して使える。
ただ、メモリーチップ用の電池の交換が必要で、これが結構早く電池切れになる上、交換が一々ソニーに送って安くない費用がかかるのが困りもんだ。

とにかく、二台ともよーく活躍した。ライブにレコーディング。僕らが行くところ全てに一緒だった。
1980~90年代、音楽を造る上での必需品だった。

やがて時代はノンエコーになっていく。まず、ドラムに盛大にかけられていたリバーブが、(一時期は、ドラムだけで4台のリバーブを使った。)ほぼ姿を消す。
ロック系のボーカルからも、リバーブは消えて行く。その上、レコーダーが、パソコンに移行すると同時に、エフェクトもプラグイン化し、ハード機材は、どんどん無用の長物化していった。

しかし、それでも僕は、この二台を手放す気にはならない。少なくなったとはいえ、今でもライブには必需品だし、DAWになっても、メインのボーカルに掛けるリバーブは、プラグインより、この二台の方が僕にはグッドだ。

しかし、いつかはプラグインに凌駕され、ライブでもレコーディング でも、必要なくなる日が来るのかもしれない。
それでも僕は、手放さないだろうな。・・・・

LITTLE FEAT

2月 21, 2008 in blog

cimg0977.JPG今日、待っていたCDが届いた。Little Feat(リトルフィート)の Time Loves A Hero(タイム・ラブズ・ア・ヒーロー)の、限定復刻紙ジャケット・デジタル・リマスタリング盤、というヤツだ。

まず、リトルフィートとは、ボーカル&ギターのローウェル・ジョージを中心として、その泥臭くアーシーなサウンドと、絶妙にポイントをずらしたアクセントが生み出す独特のグルーブとが相まって、唯一無二の個性を・・・・・
云々カンヌンというウンチクはすっとばして、一般的というより、よりミュージシャンからの支持が熱い、いわば玄人好みのバンドといえるだろう。(本人達は決して本意ではなかっただろうけど。)

僕が彼らを初めて知ったのは、17才の頃だ。
その頃僕は、それまでのハードロックバンドに飽きて、ドゥービィー(ブラザース)や、クラプトンをレパートリーとするバンドに移っていた。
(この頃は、次から次へと新たな音楽が登場していた時期で、僕自身も、急激に様々な音楽を吸収していたのだ。)
そんなある日、メンバーから、確か、ディキシー・チキンを聞かせてもらったような気がする。
これが今後、俺達が目指すサウンドだ、なんて、カッコつけたことを言っていたんじゃなかったかな。
よりブルージーなサウンドへ指向を深化させつつあった僕も、そのアーシーなサウンドと、聞いたこともない不思議なメロディーと、アクが強いひっかかるようなグルーブがとても気に入り、早速レコードショップへ行き、最新盤として買ったのが、この“タイム・ラブズ・ア・ヒーロー”だった。

僕はもう一曲目からノックアウトされた。その余りにカッコいいリズム、タワーオブパーワーのホーン、そして、当時の僕でも気付いたほどの音の良さ。(このサウンドに関する話は、いつか、場を設けてゆっくり解説したい。 )

とかく批判が多い(ローウェルがあまり関与していない。サウンドが洗練され過ぎている等々・・・) のが、このアルバムだが、僕は好きだ。確かにローウェルの出番は少ないけど、なんといっても演奏力が圧倒的だし、とにかく最高に音が良くて、バンドが活き活きしている。

ところがだ、なんだこのCDの音は・・・・・・
おかしい???
僕はすぐさまオリジナルのアナログレコードを引っ張り出して比べた。

かなり違う。・・・リマスターなんだから当たり前だが、僕にはどう聞いても悪い方に変わって聞こえる。
まず、CD方は、4khz~5khz位が持ち上がっていて硬く聞こえる。
オリジナル自体が、当時としては非常にハイファイで、リマスターするにしても、ノイズカットと、ウルトラハイを若干持ち上げるぐらいで、何もすることないと感じていた盤なので、物凄く残念だ。
元が良いだけに本当に悔しい。

※ここがスタジオモニター環境の難しいところだ。我が社のモニターは、YAMAHA  NS-10M  STUDIOを中心に考えられている。このサウンドと大きく変わるコンセプトでマスタリングされると、このような結果になっても不思議は無い。リトルフィートの名誉の為に補足しておく。

まっ、そうは言っても仕方がない。名盤なので、いつかまたリマスターされる日も来るだろう。
それを気長に待ちますか?
(待てよ・・・・自分でアナログ盤をリマスターするっていう手もあるな。)

いずれにしても、この時代のバンドは素晴らしい。圧倒的な演奏力とサウンド、何人にも侵されないオリジナリティ。このブログで、いつか、これらの、僕が影響を受けたレコードの数々を紹介してみようと思った。

グラミーを見て。

2月 15, 2008 in blog

二三日前、TVでグラミー賞の授賞式を見た。
グラミー賞を誰がどんな曲で取るのかにも興味はあったが、それよりも、時折挟まれる、ライブショーの方が、より楽しみだった。
凄いね。・・・・・やはり・・・・・凄い。
こういう音楽の母国だけのことはあるというか・・・・

特に印象的だったのは、ビヨンセとティナ・ターナーのセッションと、アリシア・キーズ とジョン・メイヤーのセッション。どちらも完全生演奏。日本のように、カラオケで歌うなんてダサいことはやんない。
しかも、ライブ用の別バージョンだったりする。
ビヨンセ&ティナ組は、ティナの往年のヒット曲、CCRのプラウド・メアリーを、圧倒的なパワーと歌唱力で、歌い踊った。ティナって幾つだっけ? その無尽蔵のバイタリティにはひれ伏すね。
ビヨンセの美しさにもひれ伏すね。・・・ついでにビヨンセのケツにもね。

そしていよいよアリシアだ。どうして向こうの歌手は、こうも上手い上に美しいのか。
アリシアにもひれ伏すね。
しかも、アリシアはソングライターでもある。天はニ物も三物も与える。
気前がいいのがアメリカの音楽の神様だ。
アリシアは、最新ヒット曲“ノー・ワン”を熱唱した。足を踏ん張り、力いっぱい。・・鳥肌もんだ。

曲が中盤を過ぎた辺りで ゲストが登場。なんと、ジョン・メイヤーだ。
若き天才ブルースギタリストであり、あの、スティービィー・レイ・ボーンの後継者。
全く普段着のジョンは、愛用のビンテージ・ストラトを抱え、なんの演出も無く登場し、とてつもなく熱いブルース魂炸裂のソロをノー・ワンに注入。ソロ終わりで、アリシアとデュエット。
なんと絵になる二人なんやろ。

※このジョン・メイヤーとアリシアが絡む、というアイディア、一体誰から出たのだろう?
プロデューサーから出るのが普通だが 、ひょっとしてアリシア自身から出たのなら、もっと素敵なことやね。

※因に、ジョンのアンプは、TWO-ROCK という、ダンブルクローン。
やはり足下には、KeeleyのTS-808があるんだろうか? 残念ながら確認できず。

※これだけのショーを支えるスタッフワークにも拍手だ。
(膨大なマイクその他の仕込みを、バンドセット毎に、短時間のうちに正確に、入れ替えなければならなかったPAスタッフの苦労が偲ばれる。)
それにしても、これだけアーティストのパフォーマンスをフリーにしたのは、やはり、インイヤーモニターと、天井から吊られたラインアレイスピーカーのお陰だなと思う。ステージは確実に進化してますな〜。

しかし、いつも思うのだが、向こうの音楽は、どんなに時代が変わっても、どこか繋がっている。
だからこそ、プラウドメアリーなんて40年も昔の曲を、ビヨンセとティナがデュエットしても、全く違和感なく見れる。アリシアの最新ヒット曲に、ブルース魂全開のジョンのギターが、元からそうであるかのように絡みつく。
基本である、ブルース、カントリー、が、しっかりと継承され、その上に新しい音楽が生み出されているからなんだろう、と思う。4部門を獲った、イギリスのエイミーにしても同様だ。
翻って、日本ではどうか? そもそも、ポップス自体が輸入品というか、借り物なので、どうしても、そんな感じになってしまっている感じ。そんな感じ、というのは、偽物っぽい感じと言う意味。

しかし、日本人だって出来るはずだ。時間はかかっても、いつか、日本人ならではの、ポップ、ロックで、世界に通用するアーティスト。
かつて、ゴッホが日本の浮世絵に多大な影響を受けて、歴史を変える芸術を生み出したように。

※一つあった。YMOだ。
彼らはまさに、日本らしい、工業ハイテクをイメージした、テクノミュージックを創造し、世界を変えた。
コンピューターのイメージが強い彼らであるが、若い頃、徹底した訓練を積んだすご腕ミュージシャンだった。
彼らのサウンドのほとんどは、シンセサイザーを生演奏したものだ。
アメリカもイギリスも呑み込んで、たどり着いたのは、やはり日本だったのだろう。

グラミーを見て改めて思うのは、生演奏の素晴らしさだ。
鍛え抜かれた人間だけが出すことの出来るサウンド。その場限りで消えて行く宝石のような音。
それが生演奏の醍醐味だ。

できれば、今の若い人にも、その素晴らしさを知って欲しいと思った夜だった。

僕の愛機シリーズ#11 ROLAND SDE2000.2500.3000A

2月 14, 2008 in blog

cimg0975.JPGまだまだ寒い日が続く。しかし、もう二月も中旬にさしかかる。
早くあったかくならんかな〜っと。

と言う訳で、 今日のゲストは、Rolandが世界に誇る、団子三兄弟ならぬディレイ三兄弟、SDE2000.2500.3000なのだ。しばらくは、エコーシリーズですな。社名がなんせね・・・・・・
機能は、言うまでも無いがディレイだ。それ以外は、ディレイに対してモジュレイションがかけられる。
よって、エコーだけでなく、コーラスやフランジャーにもなれる・・・だけ。シンプル極まりなし。
2000.2500.3000の違いは、基本性能が徐々に上がっているのと、ディレイタイムが伸びている点だ。

僕がSDE2000を買ったのは、1982年のこと。国産初の本格的デジタルディレイ、という触れ込みだったような気がする。 発売自体は、恐らく、その前年あたりだったと思う。とにかく、当時長崎では、二番目に手に入れた男だったのだ。
(一番は、名前は忘れたが、年上のベースの人だった。どうでもいいけどね。)
その頃、エコーマシンとしては、同じRolandのテープエコーがあまりにも有名で、僕自身もそれを熟知していた為、エコーとしてはテープエコーRE-501を購入したことは、前回に詳しい。
その上でSDE2000を買った理由は、・・・実は、よく覚えていない。
多分、メンテフリーで最新鋭のハイテクというイメージだけで買ったような?
・・・・それにしてはあまりにも高価だったが。

※ただ、その頃(エンジニアになる前)の僕の思いとして、ディレイ(エコー)はサウンドメイクの肝であったのは間違いない。
時代的にも、世界のレコーディングシーンにデジタル機器が登場した頃で、それまでの、プレートエコーとテープディレイのみ、というシンプルなエコー感ではなく、もっと多種多様なエコー感が開発され使われ始めていた。

まっ、そんな時代の影響は抜きにしても、元々僕はエコー好きだった。(前回参照)

・・・ところがだ。
ライブをやるにしても、残念ながら、まだまだ当時の長崎のPAエンジニアには、僕が(時代が)必要とするエコーテクニックというか、センスを持っている人などいるはずもなかった。

レコーディングエンジニアは? ・・・・・そういう人は、存在すらしていなかった。

例えば、曲によって当然求められるエコー感は違うのに、ずんだらべったりと同じエコーがかけられたり、逆に、全くのノンエコーだったり、ミュージシャンとして、相当、エンジニアに対するストレスが溜まっていた時期だった。
というか、当時はまだ、『エコーかけるのはヘタクソだから』なんていう時代錯誤なとんちき野郎も、某ヤ○○のディレクターにさえいた時代だった。

(しかし、逆に言うと、だからこそ、僕がエンジニアとして登場できたのだろう。)

※ヘタクソはエコーかけてもヘタクソだ。エコーはヘタクソをごまかす為のものではない。
レッド・ツェッペリンが、その初期、ボーカル用のエコーテクニックが使えるPAエンジニアを募集したというエピソードさえある。

『そんなに俺が言っていることが無理なことなのか?』という疑問に、自ら答えたいという欲求もあったのだ。

強烈な思い入れのあったテープエコーに比べて、なんとなく買ったようなSDE2000だが、購入後の活躍は凄まじかった。ディレイタイムが668msecまでと、大したことなかったのだが、何より、テープエコーでは成しえない、圧倒的にクリアなディレイ音が、エコー以外の使用法を可能にしたのだった。

その一は、ステレオ化。
モノラルの音源をステレオ化するためには、コーラスというエフェクターを使う手もあったが、いかんせん音が揺れる。シングルディレイを、若干遅らせて(僕の場合は17msec)、反対サイドへ定位させると、音像は実音に引きずられながらも、左右に広がる。この17msecという値を決める為に、1msecづつずらしながら実験したことが懐かしい。
何に使ったかというと、トリオのバンドのギターを拡げて壁にしたり、まだまだモノラル音源が多かったシンセサイザーを拡げたり、最も初期には、モノラルのリバーブを拡げたり、と、それこそあらゆるものに使った。

その二。ボーカル・ショートディレイ。
50msec位の非常に短いエコーをダイレクト音に被せることにより、この時代に合ったというか、無機的というか冷たいというか、機械的な声にすることができた。

その三。テンポぴったりのフィードバックディレイ。
その正確なタイムによって、テンポから割り出した正確なディレイタイムで、拍にぴったり合わせた、フィードバックディレイが得られる。

ざっとこんなところか。とにかくこの頃、ライブに行くにしても、レコーディングに行くにしても、この2000は、常に僕と共にあった。
やがて、2500&3000Aを手に入れ、現在は、3000Aのみ、ライブ時のステレオ化ディレイ用として生き残っている。
2000と2500は、残念ながら、ラックのオブジェとなっている。

因に、2000及び2500は、これまで一度も不具合なし。3000Aのみ一度、メンテに出した。特に2000は、購入以来26年間故障知らずだ。開発当時のRolandの気合いの入り方が分かろうというものだ。

とにかく、僕にとってSDEシリーズは、もう少し後に出る デジタルリバーブと共に、1980〜90年代の活動を語る上では欠くことの出来ない愛機だ。とにかくこれが無いと仕事にならなかった。ピークの頃は、ディレイ3台にリバーブ4台を持ってライブへ行っていた程だ。

なんてったって、我が社の社名は、“エコーフィールド”なのだ。

僕の愛機シリーズ#10 ROLAND RE-201&501

2月 13, 2008 in blog

cimg0971.JPGますます寒いですな。今年の冬は、パッチが離せません。

で、今日のメニューは、出ましたね。Roland RE-201&501。
ついに、というか、いよいよというか。我が社の社名の由来の一つといえる機材。
今回も長くなりそうだ。・・・・

いわゆる“エコー”ですな。これは。

僕が最初に、テープエコーというものを知ったのは、高校一年の、例のデビューライブの時だった。
僕らのタメの連中が組んでいる別のバンドが、レッド・ツェッペリンの“リビング・ラビング・メイド” を演奏した。
(恐るべきことに、ボーカルのイワキリ君は、原キーで楽勝歌っていた。)
そのエンディング。原曲は、She just A woman で、カットアウトなのだが、そのときのエンジニアは、その語尾に、曲のテンポに合ったフィードバックエコーをバッチリかけたのだ。
つまり、She just A woman マン マン マン マン・・・と言う具合に。
(後にわかったことだが、この時のエンジニアは、レクチャー係として来ていたゲストエンジニアだった。)

僕は『かっこいい〜』と、バカみたいに口を開けた。
いつか僕も、スカーッと気持ち良くエコーを効かせて歌ってみてーっというのが、その頃のささやかな夢だった。

やがて、それは思わぬ場所で実現する。夜の世界の弾き語りだった。
RE201は、30年程昔、カラオケが無い時代、スナックやクラブ等の夜の店の必需品であり、夜な夜な紳士淑女の淫靡な歌声を濡らしていた訳ですな。(なんのこっちゃ。)
弾き語りをしながら、散々にRE-201を使い倒した。
(まじめとは言い難い少年だった僕は、10代の終わりにはどっぷり夜の世界にはまっていた。)

RE-201の素晴らしさは、そのテープ故の、アバウトさである。ずーっと使っていれば、必ず劣化してエコー音が鈍ってくる。それが良いのだ。その鈍り具合が、何とも言えない独特のエコー感になるのだ。
それと、エコータイムとフィードバックレベルを手動で連続可変できたことも、大きな武器だ。
エコータイムをリアルタイムで動かすと、テープならではの音程変化を起こす。これがとても面白い。
フィードバックを上げて行くと、やがて発振する。これもまた面白い。
こうした独自の特徴が、その後現れるBBDアナログディレイや、それを駆逐したデジタルディレイにも淘汰されることなく、ついにはビンテージの名品として現代にも残れた理由だろう。

そんなRE-201にまつわる思い出がある。

僕は20才の頃、あるライブハウスの立ち上げに参加した。
これが、関わった人間全員ライブハウスに関してはド素人という、この時代らしい、のんびりしたスタートだった。
僕はといえば、解るのは楽器のことだけだったので、楽器セレクト担当だった。
PAの方は、オーディオマニアだった店長の田中さんが担当した。

田中さんは、懇意にしていたオーディオ専門の電気屋と組んだ。
勿論オーディオとしては最高だった。なんとスピーカーはエクスクルーシブ。
エクスクルーシブといえば後のTADだ。悪いはずが無い。
しかし、ピュアオーディオとPAでは、決定的に相容れない点がある。
その扱うパーワーに比較できない隔たりがあるのだ。それを、電気屋はまったく認識していなかった。
というか、それを当時の普通の電気屋さんに望むのは酷というものだったろうが・・・・・
(案の定、オープンした途端に、ばか高いツィーターがポンポン飛んだ。)
さらにダメだったのがミキサーだ。電気屋は、いわゆるオーディオ用ミキサーを入れてきた。
(今の知識の100分の1でもあったなら・・・)
これにはなんと、エコー送りが装備されていなかったのだ。(メインアウト以外にアウトがなかった。)
ボーカルにエコーがかけられないという事態はどうしても避けたい。
そこで僕がアイデアをひねり出した。ボーカルマイクから、直接エコーマシンを通してミキサーに繋ぐ、という案だ。
オーディオ的には最悪だが、とりあえずエコーはかかる。
次に、エコーマシンの選定に入った。僕は当然のことのように、RE-201が入るものと思っていた。
ところが、店長の田中さんがこう言った。
『電気屋が言うには、新しくて良い上に安いエコーが開発されたらしい。それをいれるよ。』
よく聞くと、それは、出始めたばかりのBBDを使ったアナログディレイだった。僕は猛烈に反対した。
そこで、勝負となった。もちろんRE-201と、その電気屋が持ってきたBBDのアナログディレイとでだ。

勝負は二秒でついた。マイクを繋いで、僕が『あっ』と、言った瞬間に終わった。全員一致だった。
当時のBBDのディレイは、とてもエコーと呼べるような代物ではなく、RE-201の敵ではなかったのだ。

因に、僕は、上京するために、日を置かずこの店を辞めたが、店はその後も続き、数年後、運命の夜を迎える。
長崎大水害だ。市内中心部の地下一階にあった店は、瞬く間に泥流に呑み込まれた。
あの素晴らしかったエクスクルーシブのスピーカーも、数百枚のレコードコレクションも、僕が選定した楽器も、あの役立たずのミキサーも・・・・・もちろん、RE-201も。・・・・残念!!

やがて僕は、自宅に宅録環境を構築する際、ついに、自分のテープディレイを手に入れる。
それが、Roland RE-501だった。

501と201の差は、音色の差と、サウンドオンサウンド及びコーラスという501にある機能だ。
サウンドオンサウンドとは、超ロングディレイで、当時、クィーンのブライアン・メイがよくやっていたテクニックだ。
一度引いたフレーズがかなり遅れて帰ってくる。そこで、それに合わせてハーモニーを弾く。
そうやって一人多重奏を実現していたのだ。
コーラスは、極くシンプルなものだ。このコーラスが搭載されていた為、僕にとっては、よりギター用のエフェクトして重宝した。暖かいエコーとコーラスは、ギターにぴったりだったのだ。
音色の差は、501はノイズリダクションを搭載していた為、ヒスノイズは少ないが、その分ハイが鈍る傾向がある。
201は、抜けが良いが、ヒスノイズが多い。両機共にあるリバーブは、僕は好きではないので使わない。

※この当時、ジェフベックやゲイリームーア等が、好んで両機をマーシャルと繋いで使っていたが、二人とも、かなり入力レベルを上げていて、いわゆるブースター的使用法をしていたと思われる。試してみた。
その結果は、・・・な〜るほどね、という感じだ。かなり強力にブーストされ、ますますワイルドになる。
ただ、接続した段階で、盛大なノイズが出る。元のヒスノイズを、強力にマーシャルが増幅するのだから当たり前だ。
しかし、元来ギタリストはノイズに無頓着な面があるので、気にしなかったのかも?
ただ、不思議なのは、マーシャルにエコーを繋いでも、それほど、エコー音が汚くならない点だ。
エコーマシン自体の入力で歪み、その上アンプで歪ませるのにである。何故かエコー音はそれほど濁らない。
同じことをトランジスタのアンプでやるとエコー音も歪んで使えない。良いチューブアンプの成せる技か?

とにかく、僕にとってRE-201は、バンドマン時代に無くてはならない機材だったし、501は、エンジニアになってからの必需品となった。

PAエンジニアとしてデビューしたのは、ライブハウスだったのだが、そこにもRE-501は常設されていた。
そこで僕は、自分の501を持ち込み、AUX-OUTをパラって2台の501と接続し、二種類のエコーを確保した。
使い方は、一台を常時かけるショートディレイとし、もう一台を、ここ一発で使うロングディレイとした。

そう、まさに“三つ子の魂百までも”。あの高校一年生の時のロングディレイが忘れられなかったのだ。

こうしたエコーテクニックが、後に登場するデジタルリバーブと共に 僕のトレードマークとなり、
ひいては、社名“エコーフィールド”の原点になるのだ。

現在もこの二機は現役だ。(RE-201は、数年前、オークションで手に入れた。)
しかし、それぞれ製造されて30年近い 。さすがにモータートルクが下がって、フラッターがきつくなっている。残念ながらメーカーでも補修はできない。テープも、この機専用の薄いタイプでないと、うまく回転しないが、もはやネットで買うしか無い。

こんなダメダメ尽くしになっても、僕には見放すことなど出来ない、無二の愛機なのだ。

僕の愛機シリーズ#9 YAMAHA NS-10M・STUDIO・PRO

2月 07, 2008 in blog

今日からランタンフェスティバルだ。これは中華街の人々が旧正月を祝って行っていたお祭りに行政が便乗して、冬の長崎を代表するイベントにまで拡大したものだ。

市内中心部には総数一万数千個のランタン(提灯)が灯り、橙色の明かりが、真冬の街にほのかにあ温かさを与えてくれる。往来には、長崎ならではの角煮まん等の出店が並び、メイン会場の港公園には、豪華絢爛たる中華彩色のランタンがひしめき華を競っている。

県外の皆様、冬の観光はどうぞ長崎へ。

と、このように、長崎といえば中華だ。その歴史は、長崎開港以来400数十年に及び、日本三大中華街の一つである新地を擁する。
しかし、僕ら長崎っ子にとって、それと同じくらいに、子供の頃には、むしろそれ以上に親しみがあったのが洋食だ。

明治の初め、長崎には洋食文化が花開き、数々の著名人に舌鼓を打たせていたという。

080206_121401.JPG

まっ、そんなウンチクはどうでもいいのだが、確かに僕らがおこちゃまだった頃、近所には、Aランチやら、トルコライスやらを出前してくれるような小さな洋食屋があったもんだ。

僕自身は、5才の頃、浜屋のレストランで食べたオムライスが忘れられず、外食といえば必ずオムライス、という時期が小学5年生まで続いた。

それをついに打ち破ったのが、玉屋のレストランで食べたトルコライスだった。(それがどうした!)

今では、チャンポン皿うどんに並ぶ、長崎名物にまで出世したトルコライスだが、当時僕らが食べていたものと、なんか味が違う、と感じるのは僕だけだろうか? 正直、美味いと思う店は少ない。

そんな中、昔ながらのトルコライスを食べさせてくれる店が、新地にある喫茶店“メルシー”だ。
ここのトルコライスは、極くシンプルだ。あっさりしたフライライスに、濃厚なナポリタン、たたいて柔らかくしたローストンカツ。その一つ一つが普通に美味い。とても正調なトルコライスなのだ。

で、今日はそのメルシーで昼食だ。僕は、これもまた最近では珍しい正調“ランチ”を頼んだ。
その名もメルシーランチという。(これだけトルコライスで引っ張って、ランチかよ。)

このランチもまた、懐かしい洋食屋さんの味がするので僕は大好きだ。魚フライ、ふわふわオムレツ、ナポリタン、ポテトサラダに野菜、そして肉汁こぼれるハンバーグ、あ〜、もう一つ忘れちゃならんのがロースハムだ。あの丸いヤツね。まさに正しいランチだ。ごちそうさま!!

cimg0964.JPG

さて、今日のゲスト。ここまで、マイクばかりが続いたので(マイクの愛機はまだまだあるが)、ちょっと方向を変えよう。

マイクはサウンドの入り口。出口といえば、勿論スピーカーだ。スタジオ・モニターという。
エコーフィールドの現在のメインモニターは、業界1の大定番、YAMAHA NS-10M STUDIOだ。

写真の3台は、右から、1号機である10M、その改良型のSTUDIO、STUDIOの家庭版のPRO、の3機種だ。

スタジオ・モニターとは何ぞや?

一言で言えば、“定規”だ。録音する際、ミックスダウンする際、マスタリングして最終的な音質を決定する際、の基準になる定規だ。このスピーカーで、僕らエンジニアは、音質を、バランスを、判断するのだ。

スタジオに数ある機器の中で、最も大事な機材と言えるだろう。

僕がこの仕事を始めた時、すでに10Mがあった。当時、家庭用のオーディオスピーカーとして売られていた10Mを、海外の有名エンジニアがスタジオモニターとして使っている、という噂が立ち始めていた。

1983~84年頃、ニューヨークのパワーステーションというスタジオのチーフエンジニアだった、

※ボブ・クリアマウンテンが、この10Mを絶賛していて、ミーハーな僕は、すぐさま彼の真似をしてティッシュペーパーをツィーターの前に貼って使った。

それが3~4年ほど続き、その改良版である10M STUDIOが発売された。勿論これも、速攻使った。

少なく見積もっても恐らくこの頃のスタジオの8~9割が、モニターの一つに10M STUDIOをラインナップしていたんじゃないだろうか?

使い出した当初は、2~3khzにパンチがあった10Mと比べると、なんかおとなしい感じがして好きになれなかったのだが、慣れると、むしろ10Mより使いやすく感じるようになっていった。(改良版なんだから当たり前か)

10Mの良さというのは、周波数特性がわりとフラットだとか、反応が良いとか、定位が見えやすいとか、色々あるが、最終的には恐らくただ一点に絞られる。

とにかく、このスピーカーでミックスすると、どんなスピーカー、それがカーステレオであっても、ラジオであっても、テレビであっても、自宅のオーディオであっても、ラジカセであっても、それなりに聞けるバランスとサウンドで鳴ってくれるのだ。

これは決して簡単なことではない。試してみればすぐに解る。あるスピーカーではベストだと思っても、他のスピーカーで聞いた途端に感じる違和感、そして落胆。『あれっ? こんな音じゃなかったのに。』 エンジニアなら誰でも経験したことがあるはずだ。

そして落ちて行く底なしの無限ミックス地獄。

10Mなら、この違和感が最小限に抑えられるのだ。

まさにこれこそが、スタジオモニターに最も求められる資質なのではないだろうか。
スタジオモニターは、単純に音の善し悪しだけでは決められない難しさがあるのだ。

しかし僕はへそ曲がりなので 、スタジオをオープンさせる時は、是が非でも10M以外のモニターにしようと決めていた。

というのも、それまですでにエンジニアとして、9年程、ずーっと10Mと10M STUDIOばかり使ってきたのだ。いい加減飽きていた。

さんざん探しまくって、ようやく、コストとクォリティのバランスを満たすものを見つけ出した。

cimg0965.JPGそれが、つい数年前まで使っていたKRK 6000だ。

このモニターも、10Mに飽きたボブ・クリアマウンテンが開発に関与したといういわく付きのメーカーのものだ。
そういうこと抜きでも、非常に優れた音質の素晴らしいスピーカーである。

ところがだ、このモニターを使っている間中、僕は、例の症状に悩ませられ続けることになる 。
そう、KRK6000では良くても、他のスピーカーでは何かダメなのだ。バランスが、周波数が・・・・・・

悩みに悩んだ揚げ句、試しにと10Mに戻ってみると・・・・・・・
何のことは無い、万事オッケーなのだ。とほほほほ、
俺の10年を返せー。

もちろん、10Mがベストと言う訳ではない。まず、聞いていてあまり楽しいスピーカーではないし、低音は出ない。

工夫が必要だ。有る程度ミックスしたら、少し離れて聞いて見るとか。
しかし、結局、こいつしか今のところ無いのが現状なのだ。

でも、逆に言うと、たった50.000円で(当時の定価)、スタジオの最終価値を決定する重要なファクターであるモニターが手に入ったのだ。何という幸運。

10Mシリーズは、もはや絶版だ。ホントかどうか知らないが、YAMAHAいわく、ウーハーのパルプコーンが作れないかららしい。

パルプコーンとは針葉樹から作られる。まさに人間の浪費によるものだ。

しかし、今のところはまだ、パーツはあるようだし、ネットオークションのお陰で、まだまだ手ごろな価格で手に入る。手に入れるなら今のうちだろう。

いずれにしても、僕のエンジニア人生の終着点まで、こいつとの縁は切れそうにも無い。

まあ、けんかしつつも長年連れ添った古女房ってとこでしょうか。

※ボブ・クリアマウンテン。80年代を代表するアメリカのプロデューサー&エンジニア。

レコーディング、ミックスした作品は数知れないが、代表作といえば、ホール&オーツのBig Bam Boomを初めとする一連の作品。ブライアン・アダムスの一連の作品、ということになるだろう。

その、一聴のもとにわかる特徴的なドラムサウンド、凝りに凝ったディレイ&リバーブテクニック、パーフェクトなバランス等、SSLの卓とビンテージEQ&Compを自在に操る卓越した技術と、バンドマン(元ベーシスト)出身ならではの豊かな感性とで作り出すマジカルなサウンドが80~90年代のロック、ポップシーンを席巻した。

謝謝・祝スタジオ15周年

2月 05, 2008 in blog

2月2日は、我がエコーフィールドスタジオのオープン記念日です。今年、2008年で、なんと、丸15年になります。
少し、いつもと違う2月2日です。10周年の時は、過ぎてからしばらくして気付いたぐらいだったのに、今回は感慨深いものがあります。15年といったら、産まれたこどもが中学3年生になるんです。ちょっと感動します。

15年前も、今日のように寒い日で、私は、連日の準備に疲れたためか、前夜から風邪を引き、熱のために、ボーッとしながら、来訪されるお客様に挨拶をしたのを懐かしく思い出します。
それから15年、ここで今もこうしてスタジオを構えていられるのも、全ては、私共(有)エコーフィールドをご用命下さいました皆様のお陰です。本当にありがとうございました。

考えてみれば、あっという間の15年ですが、されど15年です。いろんなことがありました。いろんな人と出会いました。いろんなPAをし、様々な録音しました。その全てに感謝です。
そう言えば、先日、このブログに登場した、竹○君は、このスタジオをブッキングした最初のバンド、ベジタブルズのメンバーでした。そのベジタブルズのリーダーだった馬場君は、二児のパパになった今も、バンドを組み、レコーディングに来てくれています。長い付合いになりました。ありがとうございます。

言うまでも無く、私達の会社は、PAとレコーディングの会社です。私自身が、この仕事を始めた24年前から、このスタイルです。どちらも、随分様変わりしました。特にレコーディングの方は、劇的な進歩を遂げたといっても良いでしょう。
オープン当時のシステムは、サウンドトラックスの卓にフォステックスの24TR、テープは1インチ 。マスターは、ソニーのDAT。DATを除いて、全て現存しません。DATも、もはや、古いテープを再生するだけが仕事です。
ハードエフェクターは、たくさんありました。ディレイ、リバーブ、コンプにゲート、EQ、全て数台ずつ。
それが今や、MacとO2R96を中心にしたフルデジタルシステム。ハードエフェクトはすっかりラック飾りになっています。ただし、質の良いアナログ機器は、今だに主役の地位を譲りません。チューブやディスクリートトランジスタのヘッドアンプ、コンプ、EQ・・リバーブも、まだまだハードの出番が多いようです。今や、アナログかデジタルか、といった優劣争いは、全くのナンセンスといえます。互いの持ち味を知ることが現代のエンジニアに課せられた命題でしょう。
PAも、レコーディングに比べれば、その変化幅は小さいですが、まず、多機能化高性能化しましたね。卓は、32ch位だったものが、48chへ、AUXなんか、せいぜい8系統だったものが12系統へ、スピーカーも、より高音質化しました。相変わらず、くそ重いですが。しかし、確実に音質は向上しています。各メーカーさんのたゆまぬ努力に脱帽です。PAは、今後デジタル化が加速化するのは確実でしょう。
ただ、今ふと思ったのは、ここ20年、スピーカーや卓、アンプ、エフェクト、といったものは、凄まじい勢いで進化し、新たなものが次々に登場しているのですが、一つ、全くと言っていいほど変わらない分野があります。
マイクです。この分野は、ここ20年といわず、30年ほど、変化ありません。勿論、新製品は、毎年のように登場してはいるようなのですが、なかなか、定番の牙城には食い込めないようです。マイクは、有る意味、30年前には完成していたのでしょうかね?

変わらないと言えば、 どんなに機材が高性能化しても、その大元は、生身の人間が演奏する音楽だということです。
最近は、生のドラムを録音できない、レコーディングエンジニアがいると聞きます。なんともったいない。
生ドラムの素晴らしいサウンドを知らないなんて。
どんなに時代が変わっても、私は、人間の演奏が好きです。生の楽器の音が大好きなんです。
これは、今後もずっと変わらないでしょうね。

最近は、残念なことに、長崎の音楽シーンは元気がありません。
何故でしょうね?

私には、この仕事を始めた時からの夢がありました。
それは、いつか、この町から、全国に発信できるアーティストを生み出す、という夢です。
そのためのスタジオなのです。
というのも、このスタジオがオープンした当時、世界ではすでに、アーティストは住みたい町に住んで、録りたい場所で録る、というスタイルが始まっていました。
私達の時代のように、音楽をやるためには、絶対に東京に行かなくてはならない、という時代は、遠くない将来に終わる、と思っていたのです。
もちろん、若者が、住み慣れた町を飛び出て、大東京へ行く、という行為には大賛成です。
しかし、それと、どこで音楽を創るか、という問題は同義ではないはずです。
良い音楽を良い音で、を実現するために、このスタジオはあります。

若者たちよ、もっと楽しめ!

それともう一つ。最近、私自身も年取ったためか、昔懐かしい音楽をよく聴くようになりました。
勿論、研究する意味でも、過去の名盤というのは、これまでも随分聞き込んできたんですが、それとは別に、楽しみでも聞くようになったんですね。肩の力を抜いて、楽しんでも良いじゃないかな、ということで。
考えてみると、中学生や高校生の頃には解らなかったことが、今ではほとんど解るという素晴らしい事実に気付いたんです。

で、そんな思いもあって、もともと欲しかった、ビンテージのマーシャルを、手始めに手に入れた訳です。
他にも、ビンテージのフェンダーツインリバーブや、メサブギーのアンプもあります。
往年のロックを、徹底的にコピーしてみるという遊びも、面白いんじゃないでしょうか?

おっさん達よ、久しぶりに楽しもう!

15周年を迎えて、我がエコーフィールドスタジオは、これまで以上に頑張ろうと思います。
新しい未来へ羽ばたく夢、青春の夢を実現する夢、そんな夢の実現のサポートができたら、と思います。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

代表取締役  松尾宗人